最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

ポーズをとってくれたラオスの少年

2007-04-30_11.35.56

 この時は、ラオスの首都ビエンチャンから、メコン川に沿って東に向かっていた。サスペンションが草臥れて、よくガタンガタンと揺れるオンボロのバスだった。写真はビエンチャンから1時間ばかり揺られた辺りのはずだ。

 今ではどうかはわからないが、当時は都市から少し離れれば、主要国道でも舗装に穴が開いてボコボコだったりするのは珍しくはなかったし、道の脇は赤土がむき出しだ。主要国道でさえそんな状況だから、国道沿いの村落といえども、道は舗装されておらず赤土が普通だった。

 オンボロバスに乗っての長旅だったが、車窓から外を眺めていると、飽きることはない。日本とは違って風景の色合い自体が違う。そして風景も人々も素朴だ。

 時々車窓からカメラを構えてみると、子供たちが人懐こい顔で手を振ったりポーズをとってくれたりもする。こちらからも手を振り返すと、はにかんだ様子で喜ぶ。そういえば私も子供の頃に、車やバスなどに手を振ったりして、それで手を振り返してくれる人が居ると、なんだか楽しくなったものだ。そういうやりとりは、昨今の日本では少なくなってきているような気もする。

【写真】2007年5月
【文章】2018年7月

にほんブログ村 旅行ブログへ

台湾の小さな老街を歩く

P1010233

 中国や台湾の旅行ガイドなどを見ていると、街の地図に『老街(ラオジェ)』と書かれているところが多くある。見どころとして挙がっているところも多い。

 老街は古い町並みが残っている地区・通りである。特に観光産業に力を入れている中国では、完全に観光地化されているところも多く、土産物屋が並び、観光客が押し寄せてきて、休日ともなれば繁華街のような賑わいがある老街も少なくない。

 台湾にもそういった大規模に賑わう老街もあるが、中国に比べると小さく静かな老街も多いように思う。それらは手つかずというわけではないのだが、繁華街ほどの賑わいではなく、小規模だが静かで、ノスタルジィに浸れる老街も多い。

 ただしそういった小規模な老街は、お店なども少なく、街並み保存の規格制限も比較的緩いようだ。少しノスタルジックな町並みという以上の観光的な見ごたえはない場合も多い。ゆっくり散歩する以外のことはできないので、小さく無名な老街を目的地にして巡るほどではないかも知れない。しかし行きたい場所の途中やついでに行ける場所にあれば、立ち寄ってみるのも悪くないと思う。

 考えてみれば、中国の都市でも、こういったノスタルジックな雰囲気の残る街並みは多いのだが、いちいち老街とは言ってないような気がする。これは想像だが、もしかしたら今後中国で近代化が隅々まで及んできた際には、各地の古い町並みなどで保存運動が起きて整備され、新しく老街と呼ばれるところが増えてくるのかも知れない。

【写真】2011年12月
【文章】2018年7月

にほんブログ村 旅行ブログへ

ひよこが飛ぶ猛暑の空

DSC_3221

 昨日、京都では130年以上の観測史上初の7日連続38℃以上になったそうです。2日ほど前には39.8℃まで上がり、これも観測史上最高気温だそうです。近隣の温度計では40℃を超えていました。

 今日もやっぱり猛暑です。今日38℃を超えていたら8日連続になります。京都の暑さは、たとえ30℃くらいであっても湿度のある熱気がまとわりつくようで、体感的には数字以上だと思います。体温を超えると、もうこの世とは思えません。

 涼し気にひよこが空を泳いでいましたが、全く涼しくありません。この猛暑、いつまで続くのでしょうか…。

にほんブログ村 旅行ブログへ

向日神社の本殿裏の苑

DSC_2591

 京都府向日市にある向日神社。過去の桜の時期の記事でも紹介したことがあるが、平安京や長岡京が都になる前、まだ奈良の平城京に都があった718年の鎮座の由緒ある神社である。今年2018年でちょうど1300年、10月にはその節目を祝う記念祭が行われる。

 向日神社の本殿の裏には、小さな苑がある。なんの変哲もない公園のように見えるが、やはり長い歴史の残り香を感じる場所だ。

 江戸時代後期まではこの場所に本殿があったそうだ。そして本殿が移設されたあと、この場所は山桜や楓が植えられた神苑となり、相撲の土俵が作られたとのこと。大原野神社の土俵の記事でも書いたが、神社で土俵やその跡を見かけるのは珍しいことではない。今ではどうかはわからないが、少なくとも昔に於いて、相撲は単なるスポーツ競技ではなく、神様に奉納する神事としての意味合いが強かったのだろう。

 戦後は土俵もなくなり、写真に見える石舞台や小径が整備されて現在に至るとのこと。いくつか見事な木々が残っているが、その昔植えられていたという山桜や楓の森は今はない。苑を整備したときになくなったのか、枯死したのかはわからないが、おそらく後者だろうとは思う。

 今は地元の人がたまに散歩している静かな森の苑である。実は向日神社は私が住んでいる地域の氏神様でもあるので、私もしばしば訪れている。

【写真】2018年3月
【文章】2018年7月

にほんブログ村 旅行ブログへ

松平直政と出雲蕎麦と名物

DSC_0147

 松平直政公は現在の島根県、松江藩の初期の藩主である。徳川政権誕生後はしばらく堀尾家が藩主であったが嗣子がないまま当主が死去し、松平直政が転封されてくることになる。

 松平直政は徳川家康の次男である結城秀康の三男、すなわち徳川家康の孫にあたる。つまり三代将軍家光や水戸黄門とも従兄弟ということになるが、権力者がいわば一夫多妻制で異母兄弟が多い当時では、親族の感覚も現代とは異なることだろう。

 松平直政は松江に赴任する前は信州の松本藩主であった。この際、信州から蕎麦切が持ち込まれ、これが出雲蕎麦の原点となっている。その後、割子そばなどに独自進化したのは過去の記事でも記した通りだ。

 また兵庫県の出石蕎麦の記事でも、蕎麦よりも小麦の西日本に於いて、特に出石や出雲の蕎麦が発達し名物となった理由を記している。これも考えてみれば現代よりはるかに情報や物の流れが遅かったが故のものでもある。極論かも知れないが、名物というのは、環境や風土の特性とクロスカルチャーで産まれてくるものなのだろうと思う。以前の記事で書いた通り、京都で鱧や鯖寿司が名物であるのも、その一例だろう。

 とすると、情報化も物流も飛躍的に進み、どこでも同じ情報や物が手に入れられるようになってきている現代では環境や風土の特性が薄れ、文化も容易に染まる。つまり情報化や物流の進化は、本来の意味でのローカルの文化や名物の誕生を妨げてしまうのかも知れないとも思ったりもする。確かに町興しなどで新たな名物が各地でたくさん産み出されているが、私的には『作られた感』が否めない。その地の名物でなければいけない理由がわからない、と天邪鬼の私の心の声がささやくのだ。だから受け付けないというわけではないし、それはそれで楽しむのだけれど、昔からの歴史のある名物とは、名物とされる経緯が違ってきているようだとは思う。

【写真】2017年9月
【文章】2018年7月

にほんブログ村 旅行ブログへ
  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



記事検索
カテゴリー
ブログコミュニティ
いろいろな旅行ブログ
にほんブログ村 旅行ブログへ

いろいろなタイ旅行のブログ
にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ

いろいろな台湾旅行のブログ
にほんブログ村 旅行ブログ 台湾旅行へ

いろいろな中国旅行のブログ
にほんブログ村 旅行ブログ 中国旅行(チャイナ)へ
メッセージ

名前
メール
本文
Thanks for your visit (UU counts)

    2016/6/2開設