最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

窓際の招き猫

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 マレーシアのマラッカの中華街のお店の窓際に鎮座していた招き猫。

 そういえば招き猫は確か日本発祥だったと思うが、昨今では中華圏や華僑が多いアジアの街などでよく見られる。日本の招き猫は小判を抱えているものがよく見られるが、中華圏のものは銀錠(元宝・銀鋌・馬蹄銀)を抱えたり、手にしていることも多い。

 日本では、右手(右前足)を挙げている招き猫は金運を、左手(左前脚)を挙げている招き猫は客を招くとされる。両手を挙げるのは「お手上げ」に繋がり、欲張りすぎるのは良くない、とされているが、中華圏では両手を挙げたものもしばしば見かける。両手を挙げた招き猫は、最初台湾でアレンジされて作られ、それが中華圏に広がったと聞いたこともあるが、詳しくは知らない。

 まぁそんなことはどうでも良いが、窓に並んでいたこの招き猫、なんだか和む。

【写真】2018年11月
【文章】2020年11月
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訪米をきっかけにジーンズを履くようになった

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 私は若い頃から長い間ジーンズを履かなかった。子供の頃に親に買い与えられた気もするが、ほとんど履いた記憶はない。ゴワゴワして重くて動きにくいという印象しかなかった。

 学生時代でもカジュアルファッションには無頓着だったし、特にアメカジとかTシャツ+ジーパンみたいなラフなスタイルには興味がなかった。私服はたいてい綿パンやスラックスっぽいズボンだった。あまりスキニーではなく、タックが入って少しゆったりとしたものだ。

 そういう服を好んだのは、自身のスタイルの特異性や劣等感にもあったと思う。10代後半から20代にかけて身長は176cm程度、体重は50~55kg程度だった。結構な細身だと思うが、それだけでなくウエストが女性のようにくびれていて細く、体重(kg)とウエスト(cm)がほぼ同じ数字で推移していた。胸囲やヒップは恐らく90cm程度だ。この体格のせいで、ズボンにはタックが入っていないとまったくフィットしないし、市販のジーパンなどはまったく合わない。それに身体のラインが見える服を着るのも好きではなかったのだ。

 そんな私が人生で初めてジーパンを買ったのは35歳の時だった。とあるプロジェクトでアメリカに数週間の出張に行ったのだが、この時休みの日だったか仕事終わってホテルに戻るときだったか忘れたが、チームメンバー数名でアウトレットモールに行くことになった。前述の通り、私は元々ファッションやブランドには興味はなかったが、当時のリーダーの人がなかなかオシャレに詳しい人で色々教えてくれたのだった。
 
 で、それなら私もせっかくアメリカに来た記念に何か買ってみるかな、ということで買ったのが、上の写真のリーバイスのジーンズ、というわけだ。確か2500円くらいで購入したと思うが、日本で買うと倍以上はすると教えてくれたのも当時のリーダーだった人だ。

 せっかく買ったので、それからはちょくちょくとジーンズを履くようになった。学生時代の友人は、私がジーンズを履いているだけで驚いたものだったが、履いていると愛着も湧く。結局このリーバイスは私のお気に入りの一つとなった。

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 そして私の2本目のジーンズ。「私の」というには語弊があるのかも知れない。というのも、このジーンズは元々家内のものだからだ。家内が全く入らなくなってしまったのだが、試しに私に履かせたところ、ウエストはこぶし2つ分程度の余裕があったので、そのままお下がり。

 元々家内がかなり長めの裾で履いていたのが、私には短めになるくらい。この数年の流行りなのか、周囲を見ると短めの人も多いので、そんなに目立たない。

 ちょっとスキニーな感じで、股上は短め、というより私が履いているズボンの中では一番短い。少し慣れない形で動きにくかったり、ポケットも薄く浅いので財布やスマホも入らないのが難点だが、ちょい履き用としては申し分なく、サブのジーパンとして重宝している。

 ブランド等は表示がないのでわからない。

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 人生初めてアメリカで買ったリーバイスジーンズは、十数年間で結構ボロボロになった。所々破れたり穴が開いているし、薄くなっている部分もあって下着が透ける。写真では見えないが、ポケットは全部穴が開いている。直すのも難しそうで、さすがにもう寿命らしい。新しく代わりのジーンズでも買おうかと、少しユニクロ等で見たりもしていた。

 そんな時、ふと通りかかったお店の店頭で出会ったリーバイス。売れ残っているサイズが現品限りで安くなっているようだった。ウエストは少し余り気味だが、ベルトをすればOKだろう。ヒップの辺りや裾はだいたいフィット。

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 という感じで、人生2本目のジーンズを買ったのだった。ちなみに2900円。たぶん普通に買えばもっと高いのだろう。

 
 私はモノに愛着が湧すぎるタイプだろうと自覚はしている。

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窓から見る秋の鳥と鉄道の話の続き

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 春から夏には『ケケケケッ』という鳴き声がうるさかったケリ。最近はあまり声を聞きませんでしたが、また戻ってきたようです。

 ケリは数分以上も同じ場所に居ることも多いのですけれど、何をしているんでしょうね。

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 最近、家の窓から一番多く見かけるようになった鳥はコイツです。ハクセキレイ。

 以前は窓の近くに立つだけでササッと逃げていきましたが、最近では私が窓越しに座ってもあまり逃げません。ただし、家内の場合は窓に近寄るだけで逃げていきます。私の実家の庭にやってくるスズメも、私の両親だとあまり逃げませんが、普段見慣れない人の場合はその影だけで逃げるそうです。鳥たちも人の違いを認識できているんでしょうね。

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 そんなわけで、ハクセキレイも、最近ではすぐ傍で飛ぶ姿を結構観察できます。
 すばしこく飛ぶ鳥なので、なかなか綺麗に撮れていませんが、羽を開くとこんな感じです。ちょっとカササギっぽい。

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 裏の田んぼでは稲刈りシーズン真っ只中ですが、稲刈り中のコンバインの後を追うシラサギがいました。稲についている虫などのおこぼれを狙っているようです。長い首をピョコリピョコリと振りながら追いかけていく姿は、見ていて飽きません。

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 ウチの家の窓から、鉄道も眺めているのは以前に記した通りです。手前の線路はJR東海道本線(在来線)ですが、実は奥のほうには新幹線も見えます。

 写真は1階の窓からです。普通に肉眼で見えますが、音は風向き次第でかすかに聞こえる程度です。

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秋の風景 ~鳥と抗争と明智光秀ラッピング~

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 裏の田んぼも稲刈りのシーズンになりました。涼しくなって小さな羽虫もいなくなり、窓からは心地よい秋風が入ってきます。窓際に座ってゆっくり外を眺めていると、人生の幸せについてふと考えてみたり、なんだか哲学的な気分になったりもします。

 今日の写真はすべて我が家の窓からの光景です。望遠レンズもありませんし、三脚も使わず手持ち撮影なので、質は期待しないでください。

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 田に水が張っているときには、家の窓から見える鳥はシラサギやケリ、アイガモが多かったのですが、稲刈りのシーズンになると少なくなります。

 稲刈りが終わった後のおこぼれを求めて、大群でやってくるのが写真のハクセキレイやスズメ。これらの鳥は年中いますけれど、稲刈りシーズンは特に賑やかです。ハクセキレイもスズメと似たチュンチュンという鳴き声ですが、スズメより幾分トーンが高いと思います。

 飛んでいるときはカササギを思わせるような綺麗な白黒模様を見せるのですが、すばしっこく飛ぶ鳥なので今日は写真は撮れていません。

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 鳩もだいたい年中います。

 そういえば今日はメジロも見えたのですが、カメラは間に合いませんでした。残念。

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 タニシなどの水生動物を狙う白鷺は、田に水が張っているときには毎日たくさん見かけましたが、最近は少なくなりました。今日は田んぼに居ますが、特に餌を探すわけでもなく、のんびりしているように見えました。

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 小さな鳥たちが一斉にどこかへ去ってしまいました。いつも通りカラスかヒヨドリがやってきたのかと思ったら、茶色い大きな鳥が低空飛行しています。


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 鷹でしょうか?それとも鳶?
 もう少し近づいてくれないと綺麗に撮れませんねぇ…。

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 すると横合いからカラスがやってきました。この辺りを縄張りにしているカラスだと思われます。

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 激しく威嚇しあっています。
 この牽制合戦はカラスの勝ちでした。鷹か鳶かわかりませんが、すこし離れたところに去っていきます。

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 その後、少し離れた鉄道の架線柱に避難し、再び様子を窺っていた鷹(or鳶)をさらにカラスが襲撃し、どこかに去っていきました。カラス強し。

 で、以降は昨日の写真。
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 窓の外をふと見たら、見慣れない黄色い車輛を見かけました。回送中らしくゆっくり走っていたので、カメラを取りに行ってもとりあえずは間に合いました。綺麗には撮れていませんが、ご容赦ください。

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 拡大してみたら、明智光秀のラッピング車輛でした。NHKの大河ドラマに合わせて、JR西日本がそういう車輛を走らせているのでしょう。

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 京都-大阪間の東海道本線沿いで、近くに向日町運転所(旧称)がありますので、結構いろいろな列車が通ります。子供の頃に今の家に住めていたら、一日中見ていただろうなぁ…。かつては夜中から朝にかけてブルートレインも通ってました。

 家の窓から鉄道を眺め、鳥たちを観察し、季節を感じる。正直、幸せな環境だなぁって思っています。

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1997年のスリラット高速道路と初バンコクの思い出話

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 時は1997年。タイ王国の首都バンコクは急拡大する大都市で、モータリゼーションの波が押し寄せていたが、交通インフラの整備は追いついていなかったように思う。

 公共交通機関で言えば、地下鉄はおろか高架鉄道BTSもなく、唯一の鉄道である国鉄はコミュータートレインではなく長距離専門、1~2時間遅れは当たり前。路線バスは万年渋滞に悩まされ、バイクタクシーやトゥクトゥクが車の間を縫って闊歩していた。中心部でもいくつかの路線が残っていた運河の乗合舟は、ラッシュアワー時には最速の公共交通だったと思う。乗りこなせればの話だが。

 首都高速はと言えば、当時は第一高速に続き、第二高速であるスリラット(シーラット)高速道路が2年半前に開通していた。写真は1997年2月、スリラット高速道路がシーロム通りと立体交差する辺りで、投宿したホテルから撮ったものだ。


 当時、バンコクの空の玄関口はドンムアン空港だった。右も左もわからぬまま、とりあえずドンムアン駅から国鉄に乗ってファランポーン中央駅にやってきた。確か5バーツ(=約20円)だったと思う。最初のバンコクの宿だけは予約していたので、歩いて向かう。

 土地勘がなかったので、地図では距離感がわからない。駅からは近いかと思っていたのだが、荷物を抱えて歩くと、思ったより遠かったのを覚えている。また当時、信号がない交差点も多く、途切れることなく交差点に突っ込んでくる車の流れをどうやって渡れば良いのか、途方に暮れたものだ。これは現地の人に見習って、阿吽の呼吸で渡れるようになった。ちなみにこの呼吸は、後に中国に行くようになってからも役に立った。

 予約していたのはシーロム・プラザ・ホテルという名前の古ぼけた中級ホテルだった。20年以上前の記憶なので、もしかしたら間違っているかも知れない。しかし場所はだいたい覚えていたし、昔は全くタイ文字は読めなかったが、今なら写真中央右寄りの病院マークの下に『ルートシン』と書いてあるのがわかるので、地図でもすぐに探すことはできた。

<GoogleMapで高速道路から見てみる>


 ルートシン病院の建物も新しいものが増えているし、看板も違っているが、やはりこの場所のようだ。左奥の建物は手前に別の建物があるが、GoogleMapで近寄ってみると、写真と同じ建物が今でもあるようだ。

 地図で確認してみると、この時私が泊ったシーロムプラザホテルは、今ではノボテル・バンコク・フェニックス・シーロムという名前になっているらしい。値段を見てもそれなりなので、たぶんノボテルが買収し、改装して営業しているのだろうと思う。

 しかし、このホテルに泊まれば、二十年以上の時を隔てて、同じ景色が見られるのかも知れない。機会があれば泊まってみようかと思えてきた。運よく同じ景色が見える部屋になるかはわからないけれど。

【写真】1997年2月
【文章】2020年8月

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プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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