最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

大長今ヒマワリの種『韩国い健康す食品さゎへね』の謎

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 そういえば日本でも『チャングムの誓い』という名前で、この韓国ドラマが流行っていた。中国やタイでも宣伝を見かけたりしたので、少なくとも東アジア全域で流行っていたのだろうと思う。

 写真は香港で見た食用ヒマワリの種のパッケージ。中国ではお馴染みのおやつだけれども、大長今(チャングムの誓い)とはたぶん関係はなく、パッケージに絵柄が使われているだけだと思うが、定かではない。

 それはともかく、大長今は韓国ドラマと認識されているはずであるが、なぜか謎の日本語が表示されている。

 韩国い健康す食品さゎへね

 何度見ても全く意味がわからない。なぜ日本語なのかもわからない。これを日本語と呼んでいいなら、ではあるが。

 欧米では日本・中国・韓国なんかは文化を混同されていることがよくある。我々からすると、ヨーロッパはヨーロッパで一括りに理解しがちであるのと同様、多くの欧米人にとっては東洋はある程度一括りで理解されている。西洋と東洋があまりに文化が違いすぎるので、まずはそこで大雑把に捉えてしまうのであろう。これはある程度は仕方のないことだと思える。
 もっというと、ベネズエラ、エクアドル、ペルー、コロンビア、地図上でどこか指すことはできても、明確な文化の違いを言ってみろと言われて答えられる日本人はそうそう多くはないはずだ。もちろん私もわからないほうの一人だ。

 しかし、中国(香港)でこれはないんじゃないか、と正直びっくりした。

【写真】2007年3月
【文章】2016年6月
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台湾のセブンイレブンで買った『新國民便當』

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 なんだか妙にレトロな名前とイラストにつられて買ってしまった。でも味は期待したより遥かに美味しくて、得した気分になった。(もともとあまり期待していなかったこともあるが)

 台湾では日本統治時代から根付いた弁当の習慣が残っている。ただし字は便當と表記してあるのが一般的だ。鉄道の駅でも駅弁が売っており、鉄道マニアの間では話題になるようだ。

 私のイメージでは、台湾の弁当の大半は、とりあえず茶色。これはコンビニ弁当に限らない。排骨や鶏肉などがデーンと乗っているのが多いからだ。

 また台湾の弁当は温めた状態で売っている、あるいは温めることが前提であるような気がする。あまり冷たいまま食べることは想定されていないようだ。

 良く見ると、弁当に拉拉熊(リラックマ)のシールが貼ってあるのは、以前の記事でも紹介した通りである。

【写真】2011年8月
【文章】2016年6月

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千葉はしゃぶしゃぶが有名なのでしょうか 台湾の員林にて

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 台湾の員林の街を散歩していると、『千葉』と書かれた看板が目に入った。

 千葉火鍋 SHABU SHABU と書かれている。やっぱり日本の千葉のことなのだろうか。SHABU SHABUと書かれているところが、やはり日本風を思わせる。食事時ではなかったので、残念ながら中に入る機会はなかった。

 そういえば主に中国で、日本の地名をはじめとした固有名詞が片っ端から勝手に商標登録されて問題になっている。いざ日本企業などが中国に商品を流通させようとした時、その産地名やブランド名などが使えない、あるいは使用料を請求される。日本ではそういうのは裁判を起こせばなんとかなるが、中国で裁判をしても日本側が負ける。さすがに浅ましい商売だと思わなくもない。中国には中国の良いものや良いブランドがあるし、これからもどんどん世を席巻していくだろうと思う。それで勝負をすればいいのではないだろうか。
※この千葉火鍋がどうなのかは知りません。

【写真】2012年12月
【文章】2016年6月
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旅先の縁は人との出会いに限った話ではない 台南国立台湾文学館

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 一日、電動自転車で旧市街である安平などをまわった後、いったん宿に帰ろうと、街を散策がてらに歩いていたら、格調高い建物が目に入ったので、なにげなく写真を撮った。右下のオブジェがこれまたなんだかよくわからなかった。

 後に調べてみると、この建物は国の文化遺産にも指定されており、元は日本統治期の庁舎。今は国立台湾文学館になっているということだった。

 この時、実は12/31の大晦日の夕方5時頃。夜には跨年晩会(カウントダウンイベント)に行く気満々だったため、早々に宿に帰って食事を済ませ、日中の疲れを少々でも癒そうとしていた。故に、ここには立ち寄らなかったし、この建物が何かも確認しなかった。写真も何気なく撮ったものが残っているだけだ。

 由緒などを知っていれば、もう少しちゃんと訪問したかも知れないが、一期一会というのは人との出会いだけではないのであろう。たまたま通りかかって存在を知ることができたのは縁があったということであるし、訪れた時に知識がなかったことや大晦日の夕刻でちょっぴり急いでいたことは縁がなかったということだろう。旅の行く先も、そこで起こる色々な事象も、また縁次第なのだろうと思う。
 つまり、また別の縁があれば、きっとここを訪れることになるだろうと思うようにしている。

P1010254

 というわけで、写真もこのようなものだけで恐縮だが、大晦日なのになぜかクリスマスツリーらしきものが、正面玄関前に鎮座していた。もうあと7時間で年明けなのだよ、と思いつつ、ここを後にした。

【写真】2011年12月
【文章】2016年6月

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バンコクの寺院のヒンドゥー神像とヒンドゥー神ラーフのお話

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 日本の仏教と同じく、タイの仏教もヒンドゥー神話と密接な関係がある。現タイ王家チャクリー朝の代々の王がラーマと称されるのも、ヒンドゥーの叙事詩ラーマヤナのタイ版ラーマキエンからとられているということを以前の記事にも記した。

 タイのお寺や祠ではよくヒンドゥー神の像を目にする。バンコクのワットトライミットにある写真の像もその一つだ。

 上から順番に、プラナーラーイ(あるいはプラウィッサヌ)、クルット、プララーフ、とタイでは呼ばれるが、日本人としてはヒンドゥーの名前の方が耳に慣れている。すなわち、ヴィシュヌ、ガルーダ、ラーフである。ヴィシュヌやガルーダについては以前の記事でも記したので、ここでは割愛する。

 ヒンドゥー神話に於いて、日食月食が起こるのはラーフが原因ということになっている。この像を見る限り、タイでもラーフの存在はヒンドゥー神話と同じようで、かじりついている球体は太陽か月だと思われる。以下、神話の話を端的に記しておく。

 不老不死の酒アムリタをめぐって、神々と阿修羅たちが戦いを繰り広げた。ヴィシュヌ神の活躍もあり、アムリタは神々の手に渡るが、阿修羅の一人ラーフは神に化けて酒を盗み飲みする。それに気が付いた太陽と月が神々に知らせ、ヴィシュヌ神はチャクラ(神像が手に持っている円盤状の武器)を投げて、ラーフを真っ二つにしてしまう。

 ところが既にアムリタを若干飲んでしまったため、ラーフは頭部だけ不老不死になっていた。告げ口を恨んで太陽と月を飲み込むが、体がないためすぐに出てきてしまう。日食・月食が起こるのはこのためである。

【写真】2006年4月
【文章】2016年6月 2019年2月修正
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プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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    2016/6/2開設