タイ北部に於いて、鉄道(タイ国鉄)はチェンマイが終着駅である。さらに北に位置するチェンラーイ県までは鉄道が敷かれていない。チェンマイより北に向かうとなると、やはり使いやすくて主要な交通手段はバスである。
こちらはチェンマイよりさらに北、タイ最北県の首府チェンラーイのバスターミナルである。チェンマイから更に北へバスで4時間程度で到着する。
ミヤンマーとの国境の街メーサーイやラオスとの国境の街チェンコーンをはじめとする北部の街への足がかりとして旅行者にも重宝できる位置にある。バスターミナルからはひっきりなしにバスが発着している。
チェンマイが結構近代化・観光地化してきて、このチェンラーイが一昔前のチェンマイのような地方都市の旅愁漂うイメージがあるのは私だけだろうか。
そして話が変わるが、写真に写っている子供の影が、『踊る人形』に見えてしまったのも私だけだろうか。
【写真】2004年4月
【文章】2005年8月 2017年10月修正
クアラルンプールには一度しか行ったことがない。写真はインスタントカメラで撮った写りの良くないこの一枚が残っているだけだ。だが、この写真は私にとっては思い出深いものでもある。
クアラルンプールには1997年に初めてタイに訪れた時の往路、マレーシア航空のトランジットで一晩過ごした。夕刻に到着して、次の朝にはタイへと飛んだ。
初めてタイに訪れた時と書いたが、それは初めての海外旅行でもあった。つまり私が初めて踏んだ異国の土地は、マレーシアのクアラルンプールである。
初めて肌で感じる異国の空気にどれだけ興奮したことか。
初めて食べる異国の食事はどれだけ刺激的だったことか。
初めて見た異国の風景はどれだけ衝撃的だったことか。
それらは今でも記憶に強烈に焼き付いている。
だが以前の記事でも記した通り、昔は写真をあまり撮らなかった。そのうえ、このときは初めての海外に一種のハイテンションで舞い上がった状態だった。当時はデジカメではなかったので、とりあえずパシャパシャ撮るような意識がなかったということも一因ではある。写真を撮ることを忘れていたのである。
そんなわけで、クアラルンプールの写真はこの一枚しか残っていない。だが、ヘタクソで写りの悪いこの写真は、それらの記憶を呼び起こさせる、私にとっては思い出深いものなのである。
【写真】1997年2月
【文章】2005年8月 【加筆修正】2016年6月
【写真】1997年2月
【文章】2005年8月 【加筆修正】2016年6月
実は表題の通り、27歳くらいまでの旅行写真はあまりありません。
理由の一つとしては、『思い立ったが吉日』方式でフラリと旅(というか放浪)に出てしまうので、カメラを持たずに出かけてしまうことが多いからです。当時京都在住でしたが、ランチに広島までお好み焼きとか、出石までそばとか、九州までラーメンを食べに行く、と言った具合。距離はともかく「旅行」というよりは、普通のドライブに感覚が近いわけです。
2つ目の理由はフィルム代が馬鹿にならなかったこと。デジカメが普及していなかった時代、とりあえずパシャパシャ撮って確認する、ということはできなかったのです。 高価な一眼レフなども持っておらず、インスタントカメラに毛の生えた程度のものしか持ち合わせていませんでした。フォーカスもピント合わせもないものです。
最後に、これが一番大きな理由なのです。特に私の写真の技術がないが故ということもあるのですが、『写真では見た感動が伝わらない』と思っていたからです。(今でもそう思っている部分もなきにしもあらず、ですが。)枠にはまった景色だけでなく、広さ、空気、風の音、温度や湿度など、五感で感じるもの。そんなものは写真では伝わらないから、記憶に刻んでおきたい。そう思っていました。ですから昔は旅行に行ってもあまり写真を撮ろうという気になることが少なかったのですね。
実際、昔は行ったところの記憶が結構鮮明だったのです。ドライブしているときにどのルートを通って、どこで休憩して、などということを、数年後に同じ道を通っても逐一覚えていました。ところが最近。これは歳のせいなのでしょうね。悲しいかな、昔の記憶が薄れだしました。『どこに行った』ということは覚えていても、そこから光景の記憶が引き出せないことが出てきたのです。
そんなわけで、21世紀に入ってから、徐々に自分自身の旅の記録として写真を撮るようになりました。 すべてが伝わらなくてもいいのです。それでも記憶の引き出しを開く鍵にはなりますからね。 ただ写真を撮るクセがついていませんので、忘れることも往々にしてあります。
当ブログで紹介しているものも、そんな旅の記録でございます。 ですから決して芸術的に素晴らしいモノではありませんが、ご覧の皆さんに感動の一部をお伝えできたり、自分の目で確かめてみたい・肌で感じてみたい、と思って頂けたり、訪れたことのある場所の記憶の引き出しを開く鍵になったりすれば、嬉しく思います。
理由の一つとしては、『思い立ったが吉日』方式でフラリと旅(というか放浪)に出てしまうので、カメラを持たずに出かけてしまうことが多いからです。当時京都在住でしたが、ランチに広島までお好み焼きとか、出石までそばとか、九州までラーメンを食べに行く、と言った具合。距離はともかく「旅行」というよりは、普通のドライブに感覚が近いわけです。
2つ目の理由はフィルム代が馬鹿にならなかったこと。デジカメが普及していなかった時代、とりあえずパシャパシャ撮って確認する、ということはできなかったのです。 高価な一眼レフなども持っておらず、インスタントカメラに毛の生えた程度のものしか持ち合わせていませんでした。フォーカスもピント合わせもないものです。
最後に、これが一番大きな理由なのです。特に私の写真の技術がないが故ということもあるのですが、『写真では見た感動が伝わらない』と思っていたからです。(今でもそう思っている部分もなきにしもあらず、ですが。)枠にはまった景色だけでなく、広さ、空気、風の音、温度や湿度など、五感で感じるもの。そんなものは写真では伝わらないから、記憶に刻んでおきたい。そう思っていました。ですから昔は旅行に行ってもあまり写真を撮ろうという気になることが少なかったのですね。
実際、昔は行ったところの記憶が結構鮮明だったのです。ドライブしているときにどのルートを通って、どこで休憩して、などということを、数年後に同じ道を通っても逐一覚えていました。ところが最近。これは歳のせいなのでしょうね。悲しいかな、昔の記憶が薄れだしました。『どこに行った』ということは覚えていても、そこから光景の記憶が引き出せないことが出てきたのです。
そんなわけで、21世紀に入ってから、徐々に自分自身の旅の記録として写真を撮るようになりました。 すべてが伝わらなくてもいいのです。それでも記憶の引き出しを開く鍵にはなりますからね。 ただ写真を撮るクセがついていませんので、忘れることも往々にしてあります。
当ブログで紹介しているものも、そんな旅の記録でございます。 ですから決して芸術的に素晴らしいモノではありませんが、ご覧の皆さんに感動の一部をお伝えできたり、自分の目で確かめてみたい・肌で感じてみたい、と思って頂けたり、訪れたことのある場所の記憶の引き出しを開く鍵になったりすれば、嬉しく思います。
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。
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