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 フランスのマカロンの名店ラデュレ。モナコにもお店があった。ラデュレのマカロンは文章では形容しがたいのだけれど、味も口当たりも上品でしっとりまろやか。時間が経ってしまうと表面が固くなってくるので、できるだけ早く食べた方が、特にその口当たりのしっとりまろやかさが味わえる。今まで日本で食べたことがある安物のマカロンはマカロンじゃなかった、と思えたくらいだ。

 しかし小さなお菓子のわりに、マカロンは結構高価だと思う。為替にもよるが、確か1個200~250円くらいだったと記憶している。つまりこの大きいほうのタワーのマカロンだけ(台座などを含まず)で数万円になるということだ。またこのラデュレ、マカロンを詰めてくれる箱がシックでオシャレだったり、可愛いのがあったりで良いのだが、この箱がまた高い…。

 パフォーマンスは人の受け取り方次第だ。それでもコストとパフォーマンスが見合っていると感じる人も居ると思うし、だから商売が成り立っている。私にとってどうかと問われれば、普段買って食べるには高価すぎるが、全くコストパフォーマンスを感じないわけではなく、大切な来客がある時など、たまには悪くないと思える。

 私は基本的に合理主義者だと思うので、ブランドにはあまり興味はない。デザインやブランド名だけで高くなるのは、私的にはお金を払う価値がないものだ。見栄を張りあう相手も特にいない。ただしお金を払うだけの質の高さ等の価値があるのなら話は別だ。

 お金を出せば良いもの・美味しいものが手に入るのは当たり前のことだ。だからこそ安くて良いものが素晴らしいのだと常々思っている。安くて良いものの実現に費やした努力と工夫に価値があると思うのだ。

 しかし、だからこそ一流のものを知る・触れる、ということも大事だ。これは単に常々贅沢をしたり見栄を張るためではなく、安くて良いものを見つけるセンサーを敏感にするということに繋がるからである。上質のもの・一流のものを知らないと、なんというか自分の体験に幅が増えない。高価なもの、安価なもの、良いもの、まぁまぁのもの、悪いもの、色々と知ってはじめて、安くて良いものがわかるようになってくる。いや、わかるというより、自分の好みや価値観が形成される、と言った方が正しいかも知れない。そうして初めてそれに払う対価が妥当か、周りに惑わされず自分なりにきちんと判断できるようになるのだと思う。

【写真】2015年10月
【文章】2016年7月
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