2008-01-28_16.47.05

 まず最初にお断りしておきたい。私はあまり他人の意見に影響されない方だと思う。他人の意見を聞かないというわけではないし、奇を衒うこと、すなわち他人と違うことをしたり、異なる意見を述べることで、ナルシズムを満足させる性質でもない。他人の意見は材料として参考にはするが、評価や判断するのは自分だと考えているだけだ。そんな私は天邪鬼と言われることもよくあるが、自分でも間違いではないとは思う。その天邪鬼の私見ということをご理解頂きたい。

 写真はタイ北部の街ナーンのバスターミナルに到着した時に撮ったものだ。初めての訪問だったので、そのワクワクや不安感とともに、若干の安堵感があったのを今でも覚えている。この話は長くなるが、忘れないうちに書き記しておこうと思う。

 この旅は一人旅だった。いつも通り目的地は決まっていなかった。とりあえずバンコクに到着した日、当日の夜行列車の切符が取れた北部に向かい、翌日にはチェンマイでバスに乗り換えて、タイ最北の県都チェンラーイまでやってきた。

 チェンラーイは何度目かの訪問ではあったものの、当時のあまり垢抜けていない雰囲気は好きだったので、しばらく滞在しても良いかと考えていた。当時はインターネットでの宿予約はほとんど流通していなかったが、たいてい買い手市場で、小さなゲストハウスなどは簡単に飛び込みで入れた。私が宿泊したのは日本人が経営しているゲストハウスで、今はどうなっているのかは知らないが、当時では有名だったと思う。ただ私が選んだのは、単に旅行ガイドの上のほうに載っていたというだけの理由だった。

 各地を旅していると、日本人経営で日本人バックパッカーが多い宿などはしばしば見かける。ここもそんな宿の一つで、なんとなく流れる阿吽の呼吸のような空気感は、しばらく日本を離れたりするとちょっとばかり安心感が感じたり、懐かしくなったりするのかも知れない。

 今までも、旅の途中で日本人旅行者と出会って、情報交換したり、一緒に食事に行ったりした経験はある。もちろんそれは日本人旅行者だけに限った話でもない。そういった旅の出会いというのも楽しいものだ。ただ私の場合、旅の途中で出会った人々と、旅の一部の行程を共にしたり、連絡先を交換するようなことはほぼない。その時は意識していないが後から考えると、旅という非日常に、日常的なしがらみを持ち込みたくなかったのだと思う。

 この宿は確かに日本人には居心地が良いのかも知れない。いわゆるアットホームな雰囲気である。居間のようなところには日本語の本が並び、日本人が居る。日本語で話せる。仲間もできるし、一緒に食事に行ったりする人もいる。中には意気投合して、一緒に旅を始める人も居る。もちろんそれらも自由だし、楽しい旅の出会いの一つだろうとは思う。

 しかし正直に言うと私にはそのアットホームさは少々居心地が悪かった。不愉快な思いをしたわけではない。ただ、日本人と出会って、日本人と話して、日本風のコミュニティに浸るのが心地良いのなら、異国で一人旅する必要はない、と天邪鬼の私の心の声が言うのだ。一人旅の孤独、不便さ、リスク、はあるし、それを軽減させたいのも理解はできる。が、悪く言うなら、せっかく異国に一人旅に来ているのに、なぜか日本人同士でつるんで慣れあっているような雰囲気に溶け込む気にはなれなかった。別に不愛想に応じたわけではないが、ちょっとばかりの旅の情報交換をした程度だ。結局は不必要に日常と非日常の境界線を越えているように感じたのだろうと思う。

 そんな居心地の悪さもあり、到着した当日に近隣をブラリとしただけで、翌朝には逃げるように発ってしまった。チェンラーイは北部の各地への足がかりに便利な地で、俄然旅行者も多い場所であるが、私は『一人旅』がしたくなったのだ。

 チェンラーイから行きやすい場所で、日本人旅行者が少なそうな方面を考えた。そして次の目的地をナーンに決めた。当時の旅行ガイドに載っていたかどうか覚えていないが、少なくとも大勢の旅行者が訪れるような場所ではなかったはずだ。

 バスで結構な長時間かかったと思うが、ようやくナーンに到着した。バスから降り立ち、やっとここから一人旅だ、と思ったところで、なんだかほっとしたのだ。日常のしがらみをやっと振り切った安堵感のようなものだと思う。この後、私が『一人旅』を満喫して帰ったことは言うまでもない。

 最後に重ねて断っておくが、日本人が集うアットホームな宿をすべて否定するわけではない。旅先で出会い、仲良くなるのを否定するわけでもない。ただ、非日常の際、踏み込まれたくない日常との境界線というのがあることに気が付いたという話だ。これは普段の休日や、もしかしたら家庭内や恋人同士の会話等でもあるのかも知れない。このラインは人それぞれで、自分にあった線を見つけられたら、きっと有意義な非日常が過ごせるのだろうと思うのだ。

【写真】2008年2月
【文章】2018年6月
にほんブログ村 旅行ブログへ