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 京都市内、烏丸五条から五条通を東に進むと、河原町通の手前に富小路通という南北の通りがある。この辺りの五条通とその北側一帯(写真の左半分)が塩竈町、五条通より南側一帯(写真の右半分)が本塩竈町という町名になっている。

 この地名を知ったとき、不思議に思った。本来、塩竈というのは、海水を煮たてて塩を作るための竈(かまど)である。地名で塩竈と言えば、まずは宮城県の塩竈市を思い出すが、この地名も塩業が由来であったはずだ。しかし海に面していない、つまり塩業が盛んであったとは到底思えない京都に、塩竈という地名があるのが不思議に思えたのだ。



 調べてみると、平安時代のこの辺りには、源氏物語の主人公・光源氏のモデルと言われる嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の住居があった。河原町の地名の由来となっている河原院である。その敷地内に、『塩竈第』と言う邸があったのが、塩竈町の由来らしい。

 源融は、鴨川の水を引いて池を作り、宮城の塩竈の景観を映し、わざわざ大阪から海水を運ばせて塩焼きをさせ、その香りや風情を楽しんだのだとか。良くも悪くも平安貴族らしい遊びだと思うが、とにかく京都に塩竈という地名が残るのは、こういった理由らしい。地名一つとってみても、色々な発見があって面白いものである。

 余談であるが、宮城県の塩竈は今では塩釜と書いても良いらしい。ただしそれだと意味が変わってくるようにも思う。竈は『かまど』、釜は竈の上にセットする『かま』である。竈という漢字が難しいからの対処なのかも知れないが、中国に於ける簡体字化の弊害という実例もある。簡略にすることが良いのか悪いのか、判断は難しいところだと思う。

【写真】2018年6月
【文章】2018年6月

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