中国では四大奇書の一つに数えられ、大変な人気と知名度を誇る水滸伝。しかしその作者はよくわかっていない。
通説では施耐庵が最有力の候補とされているが、この施耐庵には他の作品が一切ない。彼について記された書物もあるにはあるが信頼性に乏しい。実在したかどうかさえ怪しまれている。
三国志演義の作者とされる羅貫中も水滸伝の作者候補の一人である。が、この羅貫中にしても、来歴不明であるし、水滸伝を書いたことも断定できない。
そもそも民間伝承の物語であったものを、明代に幾人かのグループで調べてまとめ、一つの物語として書き上げたと考えるのが、私的には一番納得の行く説明に思える。そのグループの名前というか人称化したものが施耐庵なり羅貫中なりだったのだろうと思う。もちろん私の勝手な想像で、学説ではない。
とすると、上の写真のような施耐庵の像というのは、元々存在しないことになってしまうのだが、結局は想像にすぎない。恐らくこれからも解かれないかも知れない謎に想像を巡らせてみるのも、私は嫌いではない。
【写真】2014年8月
【文章】2018年10月