2005_0410_105843AA

 島原の乱といえば、日本の歴史上最大級の庶民の反乱、すなわち一揆である。とはいえ、宗教戦争的な意味合いもあり、またその後の鎖国やキリシタン弾圧にも大きな影響を与えた出来事であった。『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』が世界遺産認定されたこともあり、再度研究が活発になっているとも聞く。

 そんな島原の乱の供養塔が、埼玉県新座市の平林寺にある。なぜ島原から遠く離れた埼玉にあるのかと疑問に思われる方もいらっしゃるかも知れないが、もちろん理由がある。

 島原の乱といえば、天草四郎時貞の名前をご存知の方は多いことだろう。言わずと知れた一揆勢の総大将である。しかし乱を収めた幕府軍側の大将の名はあまり知られていないようだ。

 松平伊豆守信綱、江戸幕府の三代将軍家光公の信任も厚く、老中をはじめとして幕府の要職を務めた人物である。島原の乱には当初板倉重昌が上史(大将)として派遣されているが収めきれなかったため、改めて松平信綱が大将となって収めた。

 この松平信綱の領地が現在の埼玉の川越藩であった。そのため供養塔が埼玉にあるのだ。ただしこの供養塔は信綱本人ではなく、後世に家臣が偲んで建てたものだそうだ。

2005_0410_110523AA

 この平林寺は松平信綱の菩提寺である。彼のお墓を含め、一族の墓所も平林寺にある。日本では珍しく、一族のお墓としてはかなり広いもので、なかなか圧巻である。

2005_0410_111823AA

 周囲の広大な寺域は、平林寺境内林として国の天然記念物に指定されている。武蔵野の貴重な自然が残る森である。時間があればゆっくりと散策してみるのも良い。

【写真】2005年4月
【文章】2019年2月

にほんブログ村 旅行ブログへ