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 これまでの人生で、いくつか忘れられない衝撃的な光景があった。この写真はそのうちの一つだ。

 ただの工事現場のように見えるし、確かにそれは間違いではない。この写真は2014年9月、場所は陸前高田市。目の前に広がる土地は、ちょうど駅や市街の中心部があった場所である。2011年3月11日の地震の津波で流されてしまい、3年半経った当時でもまだこんな状態であった。

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 当時のカーナビは古いものを使っていたので、まだ街の地図がはっきり残っていた。記事トップの写真は、ちょうどこの地図の真ん中から北東の辺り、つまり駅や市街の中心があった方向を見ている。街は全く残っていない。

 私は震災の前にも何度か陸前高田や気仙沼を訪れたことがある。残念ながら昔は写真をあまり撮らなかったので、そのころの写真はない。しかし、訪れたことのあるお店や建物などは、本当に影すらも残っていなかった。街が丸ごと無くなっているのだから当然のことだが、信じられない思いだ。

 海沿いを走っていると、このように元は街や集落あるいは港などがあったであろう場所の更地をあちこちで見かけた。

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 元の街があったあたりは、土を大きく盛って、土地自体の海抜を高くしていた。市街地を人工的に台地にしている感じだ。土を運ぶためであろう鉄骨の高架がたくさん組まれていた。


 以下、以前の記事等でも何度か同様のことを書いているが、再度書いておこうと思う。

 震災などの被害を物見遊山に見に行くのは不謹慎だという声もある。確かにそうかも知れない。しかし私的には、理由はどうでもよいから、傷痕が残っているうちになるべく多くの人が自分の目で見たほうが良いと思っている。もちろん復興の邪魔をしない、被災者に配慮する、というのは当然の前提である。

 傷跡や被害を見れば、どうしたら防げたのか、次はどうしたらよいのか、という教訓が得られ、対処ができるようになる。いや対処まではできなくても、少なくとも考えるきっかけにはなる。歴史や経験が未来をよくすると考えている。その好例は台湾地震の記事でも書いた通りだ。

【写真】2014年9月
【文章】2019年3月

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