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 大阪国際空港。現在ではその名に反して国際線は飛んでいないが、国内路線においては今でも関西の主たる空の玄関口である。その所在地から、伊丹空港と呼ぶことも多い。

 この伊丹空港、昔からターミナルに無料で入れる展望デッキがある。私は、この空港に限らず、空港で時間が余ったら、ふらりと展望デッキを探して訪れてみることはしばしばある。しかし、この伊丹空港の展望デッキは私にとっては特別な思い出のある場所だ。

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 私が物心付いた頃より、父は大手運送会社に勤めていた。主に航空貨物を扱う部門だった。ドライバーではなく事務方であったが、トラブルがあったり急なチャーター便が発生したりすると、父が荷物を積んで空港に走ることもあったようだ。

 私が子供の頃、日本では学校も企業も週休二日制が当たり前ではなかった。父は土曜日はもちろん働いていたし、たまに日曜日に仕事に駆り出されることもあった。私はといえば、土曜日の学校は午前中だけ授業があった。

 そんな当時の土曜日の午後だったか、夏休みだったか、それとも日曜日に父が駆り出された時だったかは忘れてしまったが、父が伊丹空港まで仕事で行かなければならなくなったときに、幾度か私を連れていってくれたことがある。何度か休日の父の会社に入った記憶もあるので、日曜日だったこともあるはずだ。

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 会社の車での空港までのドライブも非日常的で楽しかった。空港に到着して、父が仕事をしている間は、おとなしく待っていたが、それが終わるとよくこの展望デッキに連れてきてくれた。また、仕事が長そうなときは、先にここに連れてきて、飛行機を見ながら待っていたこともあったと思う。

 この頃は飛行機に乗ったこともなかったし、飛行機には鉄道に感じていたほどの旅への憧れみたいなものはなかった。当時は国際空港だったので、たくさんの航空会社の機体が飛んでいたはずだが、どの国のどの会社のものかもわからないし、ただただ色々とりどりの飛行機が飛んでいくのを眺めていた。でも、それだけでも楽しかった。

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 大人になって来てみると、忘れていた何十年も前の子供の頃の記憶や気持ちがふんわりと蘇った。懐かしい思い出である。

 昨今では、仕事ついでに会社の車に子供をのせてドライブしようものなら、問題になりそうな気もする。これがもし今の時代で、私が上司であったなら、公私混同、事故が起こった時の責任、等の観点で諫めるかも知れない。

 もちろん社会が成熟して、より良いルールやモラルが整備され、事故や危険が回避されたり、効率が良くなったり、不正が無くなったりするのは良いことである。ただ自己責任の範疇とのバランスではあるが、ルール等で雁字搦めな社会は窮屈すぎるようにも思う。結局こういうのが大目に見られるのも、古き良き時代だったというべきか、はたまた未成熟な社会だったと言うべきか、私にはわからない。

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 まぁそれらの話はともかく、それなりに便が多い大きな空港の割には、この伊丹空港の展望デッキは滑走路との距離が近く、飛行機が大きく見える。

 成田空港の展望デッキにもよく足を運んだものだが、まるで臨場感が違う。私のような思い出がないにしても、機会があれば一度は足をお運び頂きたいお勧めスポットである。

【写真】2018年11月
【文章】2019年11月

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