最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

【Thai タイ】

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

鉄骨の大仏

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 写真は2018年12月初旬にバンコクの寺院ワットパクナムを訪れた時のものだ。ワットパクナムは大仏塔の天井画がフォトジェニックな場所として、21世紀に入ってしばらくしてから有名になった寺院だが、私が訪れた時、この大仏塔のそばに大きな鉄骨が聳え立っていた。

 はじめは新しい仏塔か、あるいはビルのような伽藍でも建てるのだろうか、と思った。だいたいの目測だが、20~30階建てくらいの高さだ。


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 初めは巨大すぎて気が付かなかったのだが、全体をよく見上げてみると、なんだか途中から腕が生えているような形状に見える。いや、よく見るとそれら2本の腕が肘で折れ曲がっているように見える。

 これは巨大な仏像の骨組みではないかと気が付いた。周囲の伽藍や建物などと見比べて頂いても、どれほど高いか、おわかり頂けるかと思う。

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 しかし、この段階ではビルのような普通の鉄骨造の建物のようだ。昔はともかく、近代では仏像はみんなこうやって作るのだろうか。この後、どうやって作るのだろうか。少し興味が沸いた。

 昔、と言えば、例えば中国にある世界最大の大仏・楽山大仏は90年もかけて赤土の岩肌に掘られたものである。


 また日本最大の東大寺の大仏は、石や粘土の仏像とそれを覆う鋳型を作り、隙間に銅を流し込んで鋳造したのだと小学校の社会見学で習った覚えがある。

 そういえば日本最大のブロンズ立像である牛久大仏は、中にエレベータも通っていて登ることができたが、その構造は鉄骨造にブロンズパネルを貼り付けたものだったはず。ワットパクナムの大仏も近い感じの作り方になるのだろうか。

 また興味と時間があれば、古今東西の大仏の作り方も調べてみようと思う。

【写真】2018年12月
【文章】2021年2月

1997年のスリラット高速道路と初バンコクの思い出話

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 時は1997年。タイ王国の首都バンコクは急拡大する大都市で、モータリゼーションの波が押し寄せていたが、交通インフラの整備は追いついていなかったように思う。

 公共交通機関で言えば、地下鉄はおろか高架鉄道BTSもなく、唯一の鉄道である国鉄はコミュータートレインではなく長距離専門、1~2時間遅れは当たり前。路線バスは万年渋滞に悩まされ、バイクタクシーやトゥクトゥクが車の間を縫って闊歩していた。中心部でもいくつかの路線が残っていた運河の乗合舟は、ラッシュアワー時には最速の公共交通だったと思う。乗りこなせればの話だが。

 首都高速はと言えば、当時は第一高速に続き、第二高速であるスリラット(シーラット)高速道路が2年半前に開通していた。写真は1997年2月、スリラット高速道路がシーロム通りと立体交差する辺りで、投宿したホテルから撮ったものだ。


 当時、バンコクの空の玄関口はドンムアン空港だった。右も左もわからぬまま、とりあえずドンムアン駅から国鉄に乗ってファランポーン中央駅にやってきた。確か5バーツ(=約20円)だったと思う。最初のバンコクの宿だけは予約していたので、歩いて向かう。

 土地勘がなかったので、地図では距離感がわからない。駅からは近いかと思っていたのだが、荷物を抱えて歩くと、思ったより遠かったのを覚えている。また当時、信号がない交差点も多く、途切れることなく交差点に突っ込んでくる車の流れをどうやって渡れば良いのか、途方に暮れたものだ。これは現地の人に見習って、阿吽の呼吸で渡れるようになった。ちなみにこの呼吸は、後に中国に行くようになってからも役に立った。

 予約していたのはシーロム・プラザ・ホテルという名前の古ぼけた中級ホテルだった。20年以上前の記憶なので、もしかしたら間違っているかも知れない。しかし場所はだいたい覚えていたし、昔は全くタイ文字は読めなかったが、今なら写真中央右寄りの病院マークの下に『ルートシン』と書いてあるのがわかるので、地図でもすぐに探すことはできた。

<GoogleMapで高速道路から見てみる>


 ルートシン病院の建物も新しいものが増えているし、看板も違っているが、やはりこの場所のようだ。左奥の建物は手前に別の建物があるが、GoogleMapで近寄ってみると、写真と同じ建物が今でもあるようだ。

 地図で確認してみると、この時私が泊ったシーロムプラザホテルは、今ではノボテル・バンコク・フェニックス・シーロムという名前になっているらしい。値段を見てもそれなりなので、たぶんノボテルが買収し、改装して営業しているのだろうと思う。

 しかし、このホテルに泊まれば、二十年以上の時を隔てて、同じ景色が見られるのかも知れない。機会があれば泊まってみようかと思えてきた。運よく同じ景色が見える部屋になるかはわからないけれど。

【写真】1997年2月
【文章】2020年8月

これまでに泊まった中で一番良かった宿は…

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 おそらく私は平均よりは遥かに多くの旅をしてきたほうだと思う。もちろん各地の宿にもたくさん泊ってきたことになる。海外への渡航日数の合計も365日を越えてしまったし、国内旅行を含めれば数えることも困難なくらいだ。

 ただ、私はそれほど宿にはこだわりはないし、基本的にある程度の清潔さと立地の良ささえ確保できればよい、という程度である。そんな中で「今までに一番良かった宿は?」と問われれば、普通は困るのだろうと思う。実際、私も昨年までは答えに困ったかも知れない。しかし今なら即答できる。

 もちろんこれは私の主観に過ぎないことはご了承頂きたい。ただし多くの旅を共にした家内も、おそらく迷いなくここを挙げるはずで、それほど他を引き離すブッチギリのコストパフォーマンスだったと思う。

 そのホテルは…場所はタイ南部のパッタルン。駅から徒歩数分のホテル・セントリス。ちなみに宿泊した時はツインベッド1室2名で、日本円にして2000円程度。

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 ホテルの前の通りは街のかなり賑やかな一帯である。しかしパッタルンの街全体、ビルが立ち並んでいるわけでもなく、田舎町の風情である。

 奥に見える赤い丸屋根の建物が、街で一番大きな市場だ。

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 エレベータホールの様子。ちなみにエレベータ内も綺麗で、ほんのりレモングラス系の芳香を感じた。全体的に清潔感があり、随所にホテルの人々の「ちょっとでも良くしよう」という心遣いを感じる。

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 館内は簡素ながらもチープではなく、ハイセンスで綺麗。清潔で明るく、安いホテルとは全く思えない。

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 かなり広くて快適な部屋。豪華ではないが、シンプルで機能的で清潔感がある。冷蔵庫もあるし、アメニティも最低限以上。本当に2000円という値段は驚きである。

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 タオルが象の形に。こういうのもまた嬉しい。

 無駄にも思えるような細やかな心配りができる宿というのは、たいてい従業員もきちんと教育されていてホスピタリティの意識も高く、フロントなどでも礼儀正しく丁寧であるように思う。もちろんここも例外ではない。

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 窓からの風景。高い建物はあまりないが、街の付近は平野なのにニョキッと険しく小高い山があちこちに聳えているのがパッタルンらしい風景と言えるだろうか。

 ホテルでは自転車を無料で貸し出してくれた。それで街中をブラついた話はまた後日書こうと思う。


 とりあえず数十年旅を重ねてきた中でも、国内外含めて間違いなくダントツでブッチギリの費用対満足度。是非もう一度利用したい、と思わせてくれた、数少ない宿の一つである。

【写真】2018年11月
【文章】2019年11月

スラーターニーの公園ダンスとビリー隊長

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 スラーターニーの街をぶらぶらと散策した後、夕食を探すことにした。ちょうど宿からそれほど遠くないところに夜市の開く通りがあったので色々と買いこもうと思ったのだが、まだ少し時間が早かったようなので近くのターピー川のほとりまでフラリと歩いてみた。

 夕刻なので昼の猛暑もいくぶん和らぎつつある。川のほとりは公園のようになっているところがあって、そこでは公園ダンスをしている集団がいくつかあった。中国から伝播したのだろうか。

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 グループによって踊りも様々だ。ほとんどダンスの体を成していないようなグループもあれば、本格的なエアロビダンスをしているグループもある。

 道具を使ったダンスをしているグループもあった。

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 ここの公園のダンスでは、先生のような人がちょっと高いところでお手本を踊っているところが多かった。

 このタオルっぽい布を使ったダンスをしているグループは本格エクセサイズで、先生は見事な肉体と動きだった。私は勝手に『スラーターニーのビリー隊長』と名付けた。雰囲気が結構似ていた。

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 こちらはちょっと初心者向けでジャズダンスっぽい動き。前に立っているお手本は可愛らしい服を着た女性だったが、動きは綺麗でなかなかのもの。踊っている人々は全くついていけてなかったけれど。

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 そしてだんだん暗くなってくる。この公園は街灯があるので都合が良いのだろう。

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 空がとても綺麗だった。周りは賑やかだったけれど、川と空を眺めていたら飲み込まれそうになる。

【写真】2018年11月
【文章】2019年10月

タイ南部ハジャイの街中にあった中華系仏教寺院『慈善寺』

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 華僑もたくさん住むタイでは、中華風の祠を見かけることも少なくはない。大きな街なら必ずと言っても良いほど見かける。だがハジャイの街を歩いていて見かけたこの中華風の寺院は、道観すなわち道教寺院ではなく、仏教寺院のようだった。

 中国でよく見かける木造の寺院ではなく、石造りのようだ。その威容に惹かれて、少し立ち寄ってみた。

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 とりあえず結構大きくて、近くからだと広角レンズを使わないと全容がカメラに収まらない。ちなみに少し離れて全容を撮ろうとすると、どうしても電線に邪魔をされた。

 中華の建築様式にはあまり詳しくないが、清代の江南や潮州風っぽい?

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 中は広くて涼やかだった。ご本尊は中央にある茶色の観音菩薩のようだ。大仏様ではないが、均整の取れたスタイルの仏像だった。

 ただし最奥には道教の仙人も祀られている。日本の神仏混淆のように中国では道教と仏教が混じっているのはよく見られる。いやそれらが混じり合った中国独特の宗教が確立されている、と言ったほうが正しいのだろう。しかしこの寺院は中国本土で見られる混じり方とはまた違っていて興味深い。

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 これは弥勒様だろうか。日本では弥勒菩薩と言えば、もうちょっとスリムボディの像が多いが、中華圏の弥勒様はこのような大肚の弥勒様が一般的だと思う。

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 こちらも弥勒様?なぜこちらだけに水が置かれていたのかは不明。

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 両脇には六十種類の干支に対応する太歳神がズラリ。日本では干支というと十二支だけのことを指すことが多いようだが、これは誤用だ。干支は文字通り十干と十二支の組合せで示すものである。この辺りは以下の過去記事でも取り上げているのでご参照頂きたい。



 この干支の太歳神も道教と民間信仰が混じったものと考えても良いはずで、中華圏で見かけるのも大抵は道観である。本来仏教とは関係がないはずなのだが、やはり海外における中国寺院ということで、中華系の信仰はすべて一緒くたにして放り込まれてしまうのかも知れない、とか考えたりする。

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 六十体はそれなりに精巧に作られている。

 私の干支の太歳神を記念撮影。だから普通に歳がバレる。

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 タイ仏教寺院の伽藍の構造なんかも取り入れているのだろうと思ったりもした。帰り際に中から門や外を見てみると、やはり中国本土の仏教寺院や道観とは違い、タイ風が混じった不思議な様式に見えた。

 中国幾度か訪問した後に訪れたからこそ、気が付けることもある。同じ場所に行っても、自分の経験や知識、あるいは思考能力などの成長次第で見え方が変わってくることもある。だから旅は、そして人生は面白い。



【写真】2018年11月
【文章】2019年10月
  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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