最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

Bangkok バンコク・近郊

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

市場の片隅の本頭公廟

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 こちらはタイの首都バンコク、チャオプラヤー川の西岸トンブリー地区にあるターディンデーン市場。それほど大きな市場ではなく、生鮮食品や日常雑貨などが並ぶ、庶民の市場だ。特に用事があるわけではなかったが、入り口付近から目を向けてみると、奥に中華風の廟のようなものを見つけた。

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 タイの市場で小さな祠や神棚のようなもので、タイやインドあるいは中華圏の神様が祀られていることは少なくない。だが、これほどしっかりした廟のようなものが市場の中にあるのはあまり見ない。なんだか違和感のある光景だと思える。

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 近づいてみると、本頭公と書いてあるように見えた。こんなところにも本頭公が祀られているのかと正直驚いた。

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 本頭公はインドシナ半島の華僑独自の神様であるが、当ブログで何度も紹介してきているので、ここでは詳細は割愛させて頂く。記事末尾のタグ「インドシナ半島の華僑オリジナル神・本頭公の廟を巡る」より関連の過去記事をご参照頂きたい。

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 こちらの本頭公は媽と対ではなく、公のみ。柔和なお顔と関公のような美髯が象徴的である。小さな廟で、本頭公像の造形もそれほど立派なものとは言い難いが、きちんと綺麗にされており、人々に大切にされていることがわかる。

 どうやらバンコクにはこういった小さい無名の廟・祠、あるいは大き目の中華寺院の一角などでも本頭公を祀られたところが結構あるようで、今日ヤラワーからトンブリーまでフラリと散策しただけで、数柱の本頭公に出会った。これらもまた千差万別で面白かった。追々整理して紹介しようと思う。

【写真】2023年8月
【文章】2023年8月

大人になってからの趣味の語学学習では文字を早めに覚えると良いと思う理由

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 タイの建物内などでよく見かけるコレ。もちろん文字なんて読めなくても、左端の絵さえ見れば、何を意味しているかは理解できる。禁煙・煙草を吸わないで、ってことだ。

 だから文字なんて覚える必要はないのか。確かに意思疎通だって会話のほうが早いし、それができなくても身振り手振りなどが中心で、あまり文字を必要とはしないだろう。(日本語と中国語の間では筆談が効果的な時もあるが、特殊な例だと思う)。昨今ではスマホやPCでも翻訳機能があり、さらに多言語の文字を覚える必要はなくなっていると思う。

 しかし、ペラペラになるまでの勉強はしていなくても、タイ旅行中に現地の言葉の語彙力を増やせたら、と思う方がいらっしゃるなら、是非タイの文字を覚えることをお勧めしたい。

 文字を覚えると、単なる記号の並びのようなものが音でイメージできる。写真の文字はハーム・スープ・ブリって書いてあることがわかる。文字を覚えただけだと、意味まではわからない。でもとりあえずハーム・スープ・ブリが禁煙を意味することまではわかる。別の機会に同じ単語が別のところで見かけたりすると、ハーム、スープ、ブリが個々にどの意味なのかもわかる。もちろん調べても良い。文字を覚えると、調べるのもすぐにできるようになるのも利点だ。
(ちなみにハームは禁止、スープは吸う、ブリがタバコ、です。)

 街中の看板なども同様。薬局には必ずยาと書かれている。これが文字を認識できるとヤーが薬だとわかる。よく車などにおいてあるเช่าと書かれたプレート、チャウという意味は、おそらくレンタルという意味だろうと推測できる。このように街の看板や商品などいたるところに書かれた文字から語彙力を吸収していくことができるようになる。

 子供が知らず知らずに言語を習得していくように大人も学習していくのが早道、みたいな意見も聞いたことがあるが、大人はもともと社会や生活に触れることができる時点がスタートで、ましてやネイティブの言葉でもないので、子供が言語を習得していく過程とは違う気もする。

【写真】2023年8月
【文章】2023年8月

タイ国鉄オリジナルパッケージ「鉄道」水

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 ただの水のボトル。だけれど、このパッケージは他ではたぶん見ない。

 これはタイ国鉄の夜行列車で一等寝台の客にだけ提供されるもの。私が初めて利用した2001年でも水のボトルの提供はあったし、それから何度か一等を利用した際にも毎回用意されていたと思う。しかし、このようなタイ国鉄のオリジナルっぽいパッケージではなく、普通の市販のものだった。とはいえ、軽く10年以上は乗っていないので、いつ頃からかは知らない。

 รถไฟはカタカナ表記するならロットファイ(トはほとんど発音しない)、真ん中のROTFAIと同じだ。意味は「鉄道」。

 図柄が旧バンコク中央駅なのがそそられる。ここでは駅の歴史や思い出などを長々と書くのは控えておくが、私にとっては若き日の初訪泰の時から何度も利用した思い入れ深い駅である。ついでなので2018年11月の訪泰時、もう訪れることは少なくなるだろう、と思って、その雄姿を収めておいたものを下に載せておく。

 閑話休題、珍しいものだと思いながらも、ありがたく中のお水だけは頂いてすぐにボトルは捨ててしまった。マニアなら、このようなボトルもやはり欲しくなったりするものなのだろうか。一応断っておくが、中の水は特別美味しいわけでもなんでもない普通の飲料水だ。


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【写真】水:2023年2月、駅:2018年11月
【文章】2023年8月

鉄骨の大仏

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 写真は2018年12月初旬にバンコクの寺院ワットパクナムを訪れた時のものだ。ワットパクナムは大仏塔の天井画がフォトジェニックな場所として、21世紀に入ってしばらくしてから有名になった寺院だが、私が訪れた時、この大仏塔のそばに大きな鉄骨が聳え立っていた。

 はじめは新しい仏塔か、あるいはビルのような伽藍でも建てるのだろうか、と思った。だいたいの目測だが、20~30階建てくらいの高さだ。


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 初めは巨大すぎて気が付かなかったのだが、全体をよく見上げてみると、なんだか途中から腕が生えているような形状に見える。いや、よく見るとそれら2本の腕が肘で折れ曲がっているように見える。

 これは巨大な仏像の骨組みではないかと気が付いた。周囲の伽藍や建物などと見比べて頂いても、どれほど高いか、おわかり頂けるかと思う。

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 しかし、この段階ではビルのような普通の鉄骨造の建物のようだ。昔はともかく、近代では仏像はみんなこうやって作るのだろうか。この後、どうやって作るのだろうか。少し興味が沸いた。

 昔、と言えば、例えば中国にある世界最大の大仏・楽山大仏は90年もかけて赤土の岩肌に掘られたものである。


 また日本最大の東大寺の大仏は、石や粘土の仏像とそれを覆う鋳型を作り、隙間に銅を流し込んで鋳造したのだと小学校の社会見学で習った覚えがある。

 そういえば日本最大のブロンズ立像である牛久大仏は、中にエレベータも通っていて登ることができたが、その構造は鉄骨造にブロンズパネルを貼り付けたものだったはず。ワットパクナムの大仏も近い感じの作り方になるのだろうか。

 また興味と時間があれば、古今東西の大仏の作り方も調べてみようと思う。

【写真】2018年12月
【文章】2021年2月

1997年のスリラット高速道路と初バンコクの思い出話

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 時は1997年。タイ王国の首都バンコクは急拡大する大都市で、モータリゼーションの波が押し寄せていたが、交通インフラの整備は追いついていなかったように思う。

 公共交通機関で言えば、地下鉄はおろか高架鉄道BTSもなく、唯一の鉄道である国鉄はコミュータートレインではなく長距離専門、1~2時間遅れは当たり前。路線バスは万年渋滞に悩まされ、バイクタクシーやトゥクトゥクが車の間を縫って闊歩していた。中心部でもいくつかの路線が残っていた運河の乗合舟は、ラッシュアワー時には最速の公共交通だったと思う。乗りこなせればの話だが。

 首都高速はと言えば、当時は第一高速に続き、第二高速であるスリラット(シーラット)高速道路が2年半前に開通していた。写真は1997年2月、スリラット高速道路がシーロム通りと立体交差する辺りで、投宿したホテルから撮ったものだ。


 当時、バンコクの空の玄関口はドンムアン空港だった。右も左もわからぬまま、とりあえずドンムアン駅から国鉄に乗ってファランポーン中央駅にやってきた。確か5バーツ(=約20円)だったと思う。最初のバンコクの宿だけは予約していたので、歩いて向かう。

 土地勘がなかったので、地図では距離感がわからない。駅からは近いかと思っていたのだが、荷物を抱えて歩くと、思ったより遠かったのを覚えている。また当時、信号がない交差点も多く、途切れることなく交差点に突っ込んでくる車の流れをどうやって渡れば良いのか、途方に暮れたものだ。これは現地の人に見習って、阿吽の呼吸で渡れるようになった。ちなみにこの呼吸は、後に中国に行くようになってからも役に立った。

 予約していたのはシーロム・プラザ・ホテルという名前の古ぼけた中級ホテルだった。20年以上前の記憶なので、もしかしたら間違っているかも知れない。しかし場所はだいたい覚えていたし、昔は全くタイ文字は読めなかったが、今なら写真中央右寄りの病院マークの下に『ルートシン』と書いてあるのがわかるので、地図でもすぐに探すことはできた。

<GoogleMapで高速道路から見てみる>


 ルートシン病院の建物も新しいものが増えているし、看板も違っているが、やはりこの場所のようだ。左奥の建物は手前に別の建物があるが、GoogleMapで近寄ってみると、写真と同じ建物が今でもあるようだ。

 地図で確認してみると、この時私が泊ったシーロムプラザホテルは、今ではノボテル・バンコク・フェニックス・シーロムという名前になっているらしい。値段を見てもそれなりなので、たぶんノボテルが買収し、改装して営業しているのだろうと思う。

 しかし、このホテルに泊まれば、二十年以上の時を隔てて、同じ景色が見られるのかも知れない。機会があれば泊まってみようかと思えてきた。運よく同じ景色が見える部屋になるかはわからないけれど。

【写真】1997年2月
【文章】2020年8月

  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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