最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

【その他の国々】

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

南フランスのニースで車上荒らしにあった話

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 しばらく更新が滞ってしまった。忘れる前に書き留めておきたい写真や思い出はたくさん残っているのだけれど、一度サボると「明日でいいか」とサボり癖がついてしまう。このままでは追いつかなくなってしまうので、意識的に筆をとることにする。

 この車上荒らし事件も話せば長くなるので、なんとなく書き始められずにいたのだが、忘れる前に書き留めておきたいことの一つだ。

 このとき、私は仕事で南フランスのニース近郊に来ていた。1週間弱だった。事件が起きたのは最終日、しかも帰路の飛行機に乗るために空港の近くまで来ていたのだった。

 最終日は帰るだけの日で、宿を出た我々はレンタカー2台に便乗してニース市街に向かった。総勢11名で、片方の大型ワゴンには私を含めて7名が乗っていた。2名は社外コンサルタント、私を含む5名が同じ会社の社員だ。

 帰路につく前にニース市内でランチをとろうということで、空港にも程近いニース市街の地下駐車場に車を止めた。そして食事をして、余った時間で少しばかり街を散策して車に戻ってきた時に、異変に気が付く。止めていたのは1時間程度のことだったが、大型ワゴンの窓ガラスが割られ、中の荷物が荒らされていたのである。

 ただし、実は私は手鞄やポーチ等を車中に残して車を離れることはしない。PCが入っていて重たかろうが、短時間であろうが、だ。これは国内でも同じことで、ちょっとしたトイレ休憩であっても、車を離れる時に財布・カメラやPCの入った手鞄等を車内に残すことはない。このときも私は、個人用会社用のPC等も含めて、荷物をすべて身に着けていたので被害には合っていない。社外コンサルの一人も鞄をシートの下奥に隠していたので無事だった。被害にあったのは同乗していた他の5人である。会社貸与のPCや携帯電話、私物のPC等も盗られ、誰が何を盗まれたのか、私もすべては覚えていない。

 これより以前にも、同出張中に、食事で車を止めて、皆で店に入る機会はあった。その際、どれだけ時間が短くても、荷物が重たくても、私は荷物を持って出た。このとき私は他のメンバにも「持って出た方が良い」と何度か言っているが、皆の反応は、むしろ私の方が気にしすぎだろう、程度の感覚だった。

 私だけの過度な用心で終わってくれていたらそれで良かったのだが、実際はそうはならかった。私としては、強権的に「荷物を持っていけ」と言っていれば良かったと、後悔の念が残っている。というのも、同乗していた社員5人の中では私だけが次長で、他は課長や監督職だったのだから。ただ、言い訳にしかならないのだが、他のメンバは直属の部下ではなかったし、私は転職してきてたった四か月の新参者で少し遠慮もあって命令的に言いにくかったのだ。

 被害者たちに対して「そら見たことか」「言わんこっちゃない」などと思う気持ちは毛頭ない。海外出張という非日常的な緊張を強いられる中で、一仕事終えて帰路につく直前のつかの間の休息に、日本では不要な緊張を維持するのは難しい。こういうときにモノを言うのは、知識・経験からくる心構えや習慣みたいなもののはずで、だからこそ若干ながらも彼らよりも海外慣れしているはずの私が、無理やりにでも彼らの「大丈夫だろう」という油断を叩き潰しておけば良かったのだ。

 この後、警察に行くのだが、警察が同様の被害者でごった返していることに驚いた。後に知ったことであるが、ニースを中心したコートダジュールでは、こういった車上荒らしが頻発していると、外務省のホームページにも出ていた。

 警察の手続きなどを要したこともあり、予定していた飛行機には当然ながら乗れず、当日はニース空港の近くでもう一泊することになる。そして翌日の便も予定していた関西空港行は取れず、成田行しか確保できなかったので、更にもう一泊東京過ごすことになってしまった。間接的な私の被害と言えば、これで週末の休暇が無くなってしまったことくらいだが、もちろん始末書まで書くことになる他の社員の被害を止められなかった失態からすれば全く大したことではない。

 車の運転でもよく言われることだが、「大丈夫だろう」という思考は、とにかく危険だということを再認識させられたものである。この思考は、単に慢心というより、面倒なことからの逃避であるように思う。そして幸か不幸か、アクシデントというのは毎回皆に発生するわけではなく、むしろほとんど大丈夫な場合が多い。そして何も起こらなければ、用心は単に無駄な取り越し苦労と考えてしまいがちである。これが「(次も)大丈夫だろう」を生み、面倒からの逃避を自分に納得させてしまうメカニズムなのだろうと思う。

 実際、用心していてもトラブルや事故は起こるし、用心しなくても大丈夫なこともある。しかし、用心や予防はできる限りやるに越したことはない。起こらなければそれでよいし、起こった時に後悔するよりは良いと思っているからだ。だから私はこれからも、周囲に気にしすぎだと笑われようが、いくら重たかろうが、鞄は車内には残さないし、財布を尻のポケットに入れることもない。他にも細かな用心や対策は枚挙に暇がないが、これはまた別の機会に。

【写真】2015年10月
【文章】2020年1月

1997年ロンドン ナイツブリッジ周辺

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 1997年の夏、私はロンドンに居た。初の渡欧だった。

 当時の私は大学を卒業して就職後数か月の社会人一年生だったが、英語力はそりゃあひどいものだった。TOEICで言えば300点程度、会話は今の高校生の方がよっぽどできると思う。そんな私がなぜか旅先にイギリスを選んだのは、ミュージカルのCATSをオリジナルで見たかったのと、美味しい紅茶を求めてのことだったが、この話は別の記事でも書いているので、ここでは割愛しておこう。

 とはいえ、ロンドンの人々は私のつたない英語でも、和やかにわかるまで聞いてくれたように思う。後にアメリカに何度か訪れることになるが、同じ英語の国ということでアメリカと比較してもロンドンの人は比較的ノンネイティブに対して辛抱強く寛容だった印象がある。もちろん昔の話であるし、私個人が接した範囲でしかないことは承知している。


 ただそういったイメージや感触は覚えているものの、行った場所やその多くの光景は残念ながら時と共に記憶から消え去りつつある。デジカメもなかった当時ではカメラや写真は高価なもので、旅の備忘録的に手当たり次第スナップ写真や食べ物等を撮るという感覚はなかった。故に、昔の旅の写真を見返してみてもありきたりの観光名所の写真、あるいは変わったポーズをして撮ったポートレートとも呼べない代物ばかりが残っているのだ。これはたぶん私だけの話ではなく、古くから旅をしている人の『あるある』として、よく出てくる話だ。

 そんな中でも、たまに街角のスナップが紛れていることがある。銀塩カメラの時代の写真は、GPS情報はおろか、前後の繋がりやタイムスタンプもないので、どこで撮ったのか、何が琴線に触れて写真を残したのか、覚えていないことも多々ある。

 上の写真も紛れていた街角のスナップである。ただしなんとなく場所には覚えがあった。たしかロンドン塔に行ったあと、路上でバスに飛び乗って、降りた辺りだったような記憶がかすかに残っている。ただこの写真は8月12日の最後の写真で、この次にどこに行ったのかは覚えていない。もしかしたら投宿していたのがこの近くだったかも知れない。

 なんとなく覚えている周辺をgoogle mapやストリートビューで探ってみると、案外簡単にたどり着けてしまった。店などはすべて変わってしまっているが、道路左側に並ぶ建物の形が完全に一致するので間違いないはずだ。チューブのナイツブリッジ駅付近だった。



 ストリートビューでは撮影時期を変えてみることも可能だ。左側の建物に国旗がかかっているのが何十年も変わっていないのも、なんだかイギリスらしく思えたりする。

【写真】1997年8月
【文章】2019年8月

1997年に訪れたロンドンのクイーンメアリーズローズガーデンズの記憶を辿ってみる

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 ロンドンで一番美しい公園といわれるリージェントパーク。その一角にインナーサークルという輪状の道路に囲まれたエリアがある。クイーンメアリーズ・ローズガーデンと呼ばれるバラ園だ。

 メアリーと言えばブラッディーメアリーと呼ばれるイングランド王メアリー1世が有名ではあるが、そのメアリーに因んでいるわけではない。メアリーオブテック、エリザベス二世陛下の祖母に当たるメアリー王妃である。歴史を勉強していても、どのメアリーやらエドワードやらチャールズやらわからなくなる。

 さて写真はデジカメではなくネガスキャンしたものである。右下の日付表示が懐かしい。バラ園を散策した記憶は既に朧げではあったが、ネガの前後にリージェントパークの写真があったのですぐに辿ることができた。



 世の中はますます便利になり、いまや街角だけでなく公園の中でさえも疑似散策することができる。Googleストリートビューでバラ園を歩いてみると、写真に見える門がすぐに見つかった。

 20年の隔たりがあるはずなのに、ほとんど光景が変わっていない。木々や花壇は植え替えされたりしているようだが、道も同じ、ゴミ箱やベンチの場所やデザインさえ同じである。この変わっていないということは驚くべきことであると思う。二十年の歳月で、備品類のデザインや位置まで同じというのは、メンテナンスが素晴らしいレベルで行き届いているということだろう。

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 もう一枚、若き日の私が写っているものがあった。この公園は御覧のような花が至るところに咲いていて、とても美しかった記憶がある。その中の一つを記念に残しておきたかったのだ。

 公園のどこで撮ったかは覚えていないが、ローズガーデンの近くだった記憶はある。花壇の後ろに茶色の三角屋根などの建物が見えるので、もしかしたら公園内にあるリージェンツ大学ではないかと思った。その周囲に見える道を見ると、なんとなく光景に見覚えがあったりして、すぐに場所がわかった。忘れたと思っていたのだが、人間の記憶というのは不思議なもので、何かしらの情報があると、紐を伝うようにスルスルと記憶が引き出されてくることがある。



 残念なことに、美しい花壇は無くなっているようだが、なんとなく見覚えがあった。後ろの屋根が見える角度が一致しているので、この場所で間違いないはずである。

 とりあえず覚えているうちに、こうやって記録しておこう。

【写真】1997年8月
【文章】2019年6月

モンテカルロの街並み

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 モナコ公国の中心部はモンテカルロと呼ばれる地区である。カジノやF1の開催でその名を知る人も多いことだろう。

 モナコ公国は4つのカルティエと呼ばれる地区にわかれており、そのカルティエの一つがモンテカルロである。そしてそのカルティエ・モンテカルロの中に、さらにモンテカルロ区があるからややこしいのだが、最も中心のエリアだと思えば良い。

 モンテは山、カルロは国によってカルロスとかカールとかシャルルとかチャールズに発音が変わる人名のことだろうというのはすぐにわかる。由来は19世紀のモナコ大公シャルル三世から来ている。領土の大半を失いつつも独立国としての主権を確立し、カジノとリゾートによる観光国家の礎を築いた功績により、シャルルの山=モンテカルロと呼んでいるのだ。

 まさにセレブタウンという雰囲気の綺麗な街である。どこに行っても物価も高いが、路地を散策するのは悪くない。観光が主要産業で第一次産業や第二次産業がほとんどない特殊な国で、不思議な違和感が漂うように感じる。いろいろ興味深い。

【写真】2015年10月
【文章】2019年3月

タイ=ミャンマーの国境の橋

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 ここはタイ最北の街メーサーイとミャンマーのタチレクとの国境の橋。下にはこのあたりの国境を形成しているサーイ川が流れている。

 訪問したのは2001年で、それ以来訪れてはいない。ミャンマーは今とは政体も異なり、首都も当時はヤンゴンだった。ここに書いているのはそんな当時の状況なので、今ではずいぶん状況や様相が変わっているかも知れないこと、ご留意頂きたい。

 タイ最北の街メーサーイのメインストリートを真っ直ぐ北に進むと、国境にかけて雑貨屋や土産物などのお店が所せましと両脇に並び始める。そのまま進むとサーイ川に到達し、そこがタイの最北端である。その延長には国境の橋が架かっており、橋を渡ればミャンマーである。タイ最北端のモニュメントが橋の傍に建っている。

 訪問当時、旅行者はこの国境を自由に往来することはできなかった。ただし手続きすれば、タイ側からミャンマーのタチレクに日帰りで訪問することは許されていた。それも国境から幾㎞(どれくらいだったかは失念したが、街とその郊外くらい)の範囲に限られていたので、そのままミャンマー国内を旅することはできなかった。

 手続きにはパスポート用の写真やパスポートのコピーが必要だった。以前の記事にも書いたが、旅の際にはパスポート用の写真やパスポートのコピーは持っておくと良いと思う。ただし国境付近にはスピード写真や有料のコピー機サービスがあったので、持って行ってなくても手続きは可能だった。

 正式な出入国という扱いではないのか、タイ側でもミャンマー側でもパスポートに査証の判子が押されることはなかったと思う。ただしミャンマー側ではタチレクを見て回る間、パスポートを預けるように言われた記憶がある。しかしパスポートだけは預けたくない私が拒否すると、代わりにデポジットのお金を預かるということになったと思う。そのまま勝手に入国するのを防止するためだろう。

 いかにも国境を強調するかのような典型的なビルマ風の屋根を持つ建物が、橋を渡ってすぐ左側に見えた。写真左側である。寺院か、それとも役所か、と思っていたのだが、中に入ってみると薄暗い屋内にひっそりと免税店らしきお店がぽつりぽつりと並んでいるだけだった。すぐそばに国境の市場があるのに、ここで買い物をする人がどれほどいるのだろうか、と言わんばかりに閑散としていた。

【写真】2001年11月
【文章】2018年10月

  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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