最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

【その他の国々】

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

閉まっていたジョホール動物園

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  シンガポールから国境を越え、マレーシアのジョホールバルの街中から外れのほうへ歩いていると、動物園を見つけた。以前の記事などでも何度か記したことがあるが、いろいろな土地で動物園や水族館などを見かけたら、足を運ぶことも多い私である。

 しかし残念ながら、どう見ても開園しているようには見えなかった。脇には瓦礫が散乱し、入口は鉄骨でふさがれている。あまりに殺風景で、潰れて廃園になったようにさえ見えた。しかしインターネットで見ると今でもあるようなので、単に補修工事をしていただけなのだろう。

 後に知ったことだが、20世紀初期に作られた東南アジアでも有数の由緒ある動物園だそうで、入場料は日本円で50~60円ほどなのだとか。ますます中に入ってみたくなった。機会があれば再訪してみたいと思っているが、いまだ実現していない。人生も折り返し点を過ぎて、そんな場所がどんどん増えていく。

【写真】2011年11月
【文章】2018年9月

ニースのギャラリーラファイエット

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 旅に出ても、ブランド品を扱うような高級なデパートや百貨店にはあまり興味がない私であるが、ギャラリーラファイエットがパリに本店を置く大手百貨店であることくらいは知っている。

 パリには訪れたことがないが、南仏ニースでギャラリーラファイエットを見かけて、立ち寄ってみた。

 中は昨今の新しい百貨店などとは違って天井が結構低めだった。古めかしい感じであるが、古びて草臥れているわけではない。きちんと手入れされている感があった。店の人は普通に丁寧で愛想がよかったが、日本の百貨店よりも人数が少ない印象を受けた。ただし長い間居たわけではないので、たまたまかも知れない。

 とりあえずTVや写真などで見たことがあるパリのギャラリーラファイエットとはずいぶん異なるような気がしたが、もしかしたら雰囲気などは似ているところもあるのかも知れない。今のところ、私は想像するしかないわけだが。そのうちパリにも行ってみようか…。

【写真】2015年10月
【文章】2018年9月

イスカンダル・マレーシアという地区

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 島国シンガポールはマレー半島の先端に位置している。シンガポールからは狭い海峡を橋で渡ることも可能で、対岸はマレーシアのジョホール州である。

 シンガポール建国からの歴史で見れば、大国マレーシアの顔色を窺いながら強かに生きる小国シンガポールという関係が長らく続いたが、近代のシンガポールはその関係を脅かすほどに経済を発展させた。そういったことから、近年ではマレーシア側の国境の街であるジョホールバルを中心に、シンガポールからの経済効果の流入を期待した開発が行われている。

 イスカンダル・マレーシアは対岸にシンガポールを望むジョホール州の南海岸付近の開発地区の名称である。名前の通りマレーシアの政府が推進しているプロジェクトで、指定地区はシンガポール本島の3倍の広さ、東京都と同じくらいの面積があるのだとか。

 イスカンダルと聞くと、宇宙戦艦ヤマトの目的地の惑星の名前を思い出してしまうのは、昭和生まれの日本人だけかも知れない。ただし、このイスカンダル・マレーシアのイスカンダルは、開発開始時のジョホール州のスルタンの名前からとられている。

 東南アジア、特にイスラム教が盛んな国々では、イスカンダルという名前は珍しいものではない。イスカンダルという名は、元々ペルシャやアラビアで、ギリシャ名アレクサンドロス・英名アレサンダーを指したものである。

 東南アジアでも見られるこの名前が、古代マケドニアのアレクサンドロス大王(アレクサンドロス3世)に因んでいることは言うまでもない。イスラム世界ではその勇猛な英雄伝説が広く知られており、イスラム教とともにその伝説も東南アジアまで浸透した結果である。

 人名や地名も、その歴史や背景がたくさんあって、非常に面白い。

【写真】2011年11月
【文章】2018年8月

アメリカ=メキシコ国境のフェンス

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 日本は島国ゆえに陸上に於ける国境を有していないが、世界中にはさまざまな国境がある。特別な手続きなしに越えられる国境もあれば、旅行者には開放されていない国境もある。武器を持って睨みあっている国境線もある。

 写真はアメリカとメキシコの国境で、橋を挟んで右側がアメリカ、左がメキシコである。アメリカ側には見えなくなるまでフェンスが続いていた。夜間に見張るための照明も等間隔に並んでいる。少なくとも都市部はずっとこれが続いているのだろうと思われる。

 アメリカ=メキシコ間は、世界で最も越境者が多い国境とされる。不法越境を含まずに年間3億人を超えるそうなので、一日100万人程度が行き来していることになる。実際、私が訪れたメキシコの国境の街の会社にも、アメリカに家がある越境通勤者は少なからずいた。彼らと話しをする機会もあったのだが、両国の経済や治安、生活水準の違いが大きな理由のようだ。

 この米墨間の国境は不法越境が多いことでも有名である。年間数百万人ともいわれる不法越境は、アメリカへの麻薬流入の大きな原因にもなっている。昨今ではトランプ大統領が国境線にフェンスを作ると公約して話題になったが、実は氏が初めて主張した対策案というわけではなく、以前からアメリカでは不法移民対策として議論されているし、写真を御覧の通り都市部には既にフェンスがある。それでもこれを乗り越えて不法越境する者や、フェンスがない砂漠や山岳地帯を超えて越境を試みる者も多く、死亡者も多数出ている。

 米墨間の国境線はアメリカの4つの州とメキシコの6つの州にまたがり、全長は約3100㎞である。数字を言われてもピンとこないが、東京とフィリピンのマニラの間、あるいは北海道の先から沖縄の端までくらいだ。この長い長い国境線にフェンスや壁を作ったり、監視員を置けば、いったいどれくらい費用がかかるのだろうか。

 そういった費用面だけでなく、様々な長所短所、あるいは道義的な配慮なども議論され、いまだ結論には至っていないように見える。例えばアメリカ南部では不法移民の安い労働力が農業などの支えになっているという既成事実もある。本当か嘘か知らないが、厳しく取り締まっても不法に越境を試みる人が減るわけではなく、結果的には死者が増えただけ、と聞いたこともある。

 現代の万里の長城のようなものを作るのが、正しいのか正しくないのかは、私にはわからない。後世の歴史家が決めることなのだろう。ただしベルリンの壁や朝鮮の38度線を見ても、痛ましい歴史と評されることはあっても、輝かしい功績と言われることはないのかも知れない、と思ったりもする。

【写真】2015年9月
【文章】2018年7月

ロンドンのオックスフォードストリート in 1997

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 安物カメラで撮った古い写真をスキャンしたものなので、色合いなどの悪さはご勘弁頂きたい。

 1997年、ロンドンのオックスフォードストリート。正直のところ撮った場所をはっきりと覚えていなかったが、なんとなく雰囲気から察しはついていた。なにせ世界的に有名なショッピングストリートで、欧州で最も人通りが激しいと言われている。

 場所は簡単に特定できた。写真右奥に建物から歩道に迫り出した赤い文字が書いてある看板があるが、拡大してみるとどうやらHMVの店舗だった。Googleマップやストリートビューで確認してみると、20年以上経った今もまったく同じ位置にあるようだった。

《Googleストリートビュー》


 周囲の建物も多く変わっているようだが、道路左側の茶色っぽい建物だけは残っている。それに建物が変わっていても、なんとなく感じる雰囲気は共通のものを感じる。

 しかし、二十年前の写真とGoogleストリートビューで同じ場所を見た時、二台のダブルデッカーのバスの構図が似通っている偶然には少しばかり驚いた。
※ストリートビューの画像は2017年8月バージョン

【写真】1997年8月
【文章】2018年5月
  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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    2016/6/2開設