最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

Chenrai チェンラーイ

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

タイ=ミャンマーの国境の橋

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 ここはタイ最北の街メーサーイとミャンマーのタチレクとの国境の橋。下にはこのあたりの国境を形成しているサーイ川が流れている。

 訪問したのは2001年で、それ以来訪れてはいない。ミャンマーは今とは政体も異なり、首都も当時はヤンゴンだった。ここに書いているのはそんな当時の状況なので、今ではずいぶん状況や様相が変わっているかも知れないこと、ご留意頂きたい。

 タイ最北の街メーサーイのメインストリートを真っ直ぐ北に進むと、国境にかけて雑貨屋や土産物などのお店が所せましと両脇に並び始める。そのまま進むとサーイ川に到達し、そこがタイの最北端である。その延長には国境の橋が架かっており、橋を渡ればミャンマーである。タイ最北端のモニュメントが橋の傍に建っている。

 訪問当時、旅行者はこの国境を自由に往来することはできなかった。ただし手続きすれば、タイ側からミャンマーのタチレクに日帰りで訪問することは許されていた。それも国境から幾㎞(どれくらいだったかは失念したが、街とその郊外くらい)の範囲に限られていたので、そのままミャンマー国内を旅することはできなかった。

 手続きにはパスポート用の写真やパスポートのコピーが必要だった。以前の記事にも書いたが、旅の際にはパスポート用の写真やパスポートのコピーは持っておくと良いと思う。ただし国境付近にはスピード写真や有料のコピー機サービスがあったので、持って行ってなくても手続きは可能だった。

 正式な出入国という扱いではないのか、タイ側でもミャンマー側でもパスポートに査証の判子が押されることはなかったと思う。ただしミャンマー側ではタチレクを見て回る間、パスポートを預けるように言われた記憶がある。しかしパスポートだけは預けたくない私が拒否すると、代わりにデポジットのお金を預かるということになったと思う。そのまま勝手に入国するのを防止するためだろう。

 いかにも国境を強調するかのような典型的なビルマ風の屋根を持つ建物が、橋を渡ってすぐ左側に見えた。写真左側である。寺院か、それとも役所か、と思っていたのだが、中に入ってみると薄暗い屋内にひっそりと免税店らしきお店がぽつりぽつりと並んでいるだけだった。すぐそばに国境の市場があるのに、ここで買い物をする人がどれほどいるのだろうか、と言わんばかりに閑散としていた。

【写真】2001年11月
【文章】2018年10月

どの宗教や文化なのかわからなくなることもあります



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 これはタイ北部の県都チェンラーイで見かけたもの。以前の記事で紹介したチェンラーイの”市のヘソ”、サドゥームアンのすぐ近くにある。

 タイのラックムアン(市の柱)信仰は仏教とは関係のないはずだと以前の記事でも記しているが、これはタイ仏教寺院の境内にあり、しかもすぐ傍にはチェンラーイの本頭公廟があった。

 本頭公は以前にも何度か紹介しているが、インドシナ半島に住む華僑のオリジナル神様である。詳細はタグ『インドシナ半島の華僑オリジナル神・本頭公の廟を巡る』内の記事にて参照されたい。

 この写真の小さな社は、どうも仏教がベースのようだが、かなり中国仏教の影響が見える。本頭公廟があるので華僑も少なからず訪れるせいなのかも知れないが、本頭公は特に仏教の信仰対象というわけでもない。タイの寺院も傍にあり、またラックムアンもある。正直、どの宗教や文化なのかよくわからないが、この辺りはどうやら色々な宗教や信仰が混じりあったエリアなのかも知れない。

 考えてみれば、神仏混淆や道仏混淆は日本や台湾、中国でもよく見られる。他の宗教や土着の文化などと交わりながら、その土地で独自進化を遂げる仏教は、基本的に異文化や異見に対して寛容なのかもしれない。

【写真】2008年1月
【文章】2018年8月

チェンラーイのラックムアンは市のへそ

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 昨日の記事ではローイエットのラックムアン(市の柱)を紹介したが、こちらはタイ最北県チェンラーイのラックムアン。

 そういえば色とりどりの布を巻きつけるのは、多くのラックムアンで共通して見られた気がする。何らかの縁起物なのか、龍を模したりしているのか、日本の寺院にある五色幕とも関係があったりするのか、私は知らないのだけれど、なかなか興味深い。また調べてみようと思う。

 チェンラーイのラックムアンは、サーンチャオと呼ばれる社がなく、雨風吹き曝しの屋外にある。真ん中の本体のラックムアンから放射状に並べられた環状列柱は、恐らくなんらかの意味があるのだろうとは思うが、タイの中でも独特のランナータイ文化が残るチェンラーイでも、他の場所でこういった風景を見かけた覚えはない。少し不思議な雰囲気を醸し出している。

 チェンラーイのラックムアンは他にも特徴がある。ラックムアンの信仰は仏教とは関係ないはずなのだが、チェンラーイのラックムアンは、ワットプラタートチョームトーンという寺院の境内にある。市街地の外れ付近の小高い丘にある寺院で、暑い中まっすぐな参道の階段を登ったのを覚えている。ただ、寺院の脇にある体で、寺院の一部という感じではなかった。

 またチェンラーイのラックムアンは、サドゥームアンという通称がある。訳すと『市のへそ』という意味だ。こういった呼び名であれば街の中心にあることから付いたのかと想像してしまうが、上述した通り、どちらかというと町の中心部から外れている。恐らくこの環状の構造からの連想ではないかと思う。

08

 私が着いたのはそろそろ夕刻といった時間であった。この時は一人旅だ。少し雰囲気を楽しみつつ、休んでいると、白髪のおじさんとそのお孫さんらしき二人連れがいらっしゃった。地元の方だそうで、日本から来た旅行者だというと、笑顔で歓迎の言葉をくださり、少しお話をした。

 英語もほとんど通じなかったので、なんとか片言のタイ語を駆使する。当時はスマホで使える高速な翻訳ツールもなかった。今から思うと不便なものだ。

 私の少ない経験上ではあるが、指差し会話帳や辞書は便利そうに思えても、実際の会話ではほとんど役に立たない場合が多かった。よほど大事なキーワードなら調べることも有効だが、大抵の場合は調べるよりも、知っている単語を駆使して、あとは身振り手振りや筆談、あるいは簡単な絵を描いて説明するほうが方が早く通じる。調べている間、コミュニケーションは双方向ではなくなってしまい、そこでいったん切れてしまうような感覚がある。

 それはともかく、これも2008年の写真なので、少年もきっと大きくなっておられることだろうと思う。おじさんも息災であると願いたい。旅の出会いは大抵の場合、その時限りである。だけれど、ここで出会っていなければ、一生出会うこともなく、お話しすることもなく、こうして写真が残ることもなかったかも知れない。これも縁や巡りあわせというものだろう。

【写真】2008年2月
【文章】2018年2月

蚕蛹と味覚と嗅覚の話

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 蚕蛹はサンヨウと読む。文字通り、蚕(カイコ)の蛹(サナギ)のことである。

 現代の日本ではほとんど食用にすることはないので、ゲテモノの一種と見てしまいがちである。しかし、実は日本でも絹糸生産が盛んであった頃は普通に食べられてそうで、今でもアジア圏で食用にされることも珍しくはない。蚕は産業資源であるとともに、貴重なタンパク源でもあったと思われる。

 タイでこの蚕蛹が素揚げで売られていたのを買ってみたのだが、私は初挑戦だった。見た目ではちょっと気おくれするが、上述の通り昔は普通に食べられていたことを知っているので、そんなに躊躇はしない。というわけで、とりあえず物は試しである。スイートチリソースを付けてくれたので、これを絡めて食べろということだろう。

 食べてみたら、不思議な感覚だった。いや特別美味しいわけでも、まずいわけでもない。少々クリーミーでクセのある味が酒の肴にちょうど良い。ただし不思議な感覚というのは、美味しい不味いということではなく、初体験であったのに、なぜか知っている味、想像とまったく同じ味であったのだ。

 これには思い当たる理由がある。

 蚕蛹が食料ではない今の日本では飼料などに使われるらしいが、私が蚕蛹によく触れていたのはもっぱら釣り餌としてだ。海沿いの釣り道具店などに行くと、よく鯛釣りなどの餌として蚕蛹を売っている。大抵サナギとだけ呼ばれていると思う。

 もちろん釣り餌を口に運んだことはなかったが、匂いはわかる。くさいというわけではないが、独特の匂いがあるのは覚えていた。

 味が想像できたのは、この匂いを知っていたからだと思う。広く知られていることであると思うが、嗅覚と味覚は密接に結びついており、たとえ舌の味蕾で味覚を感じたとしても、嗅覚と一緒に脳味噌に届けないと、味の大半を認識できない。鼻が詰まっているとき、あるいは鼻を摘まんだり息を止めて食べると、ほとんどの味を感じなくなるのはご存じの通りである。

 たぶん逆も同じで、匂いだけ知っているものを初めて食べたときも、その匂いの記憶と結びついて、味を知っているような感覚がしたのだろう。つまり釣り餌を食べているみたいな気になったということでもあるが、エビや芋、あるいは魚の切り身も釣り餌として使うのだから、然して抵抗感を感じることでもない。

 まぁ大っぴらに虫食をお勧めするわけではないが、少なくとも蚕蛹は普通に美味しく食べられるものなので、機会があれば挑戦してみられるのも良いと思う。

【写真】2008年2月
【文章】2018年1月 

記憶とランドマークを頼りに飛行機からの鳥瞰写真の場所を辿る

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 こちらは2001年に飛行機から撮ったらしい写真。これだけ見ても、どこで撮ったのかは全く記憶にないが、この前後の写真を見るとチェンラーイの空港とどこかの空港、更に次はスコータイの空港だった。当時の手記を確認してみると、途中チェンマイで乗り換えたようだ。確かに飛行機で移動した覚えはあるので、その時に撮ったのだろう。

 かなりの低空を飛んでいるようなので、離陸直後か着陸直前のものだろう。そういえば当時はまだ離着陸時でも『すべての電子機器の電源をお切りください』等と言われなかったような気がするのは私の記憶違いだろうか。それはさておき、デジカメのタイムスタンプを見ると、どうやらチェンラーイに近い辺りだと思われた。

 どうしても推測になってしまうのは、当時はデジカメのメモリ容量も限られており、また銀塩カメラ時代からの習慣が染みついていることもあって、そんなにたくさん写真を撮りまくっていない。従って時系列に並べても大きな隙間ができるので、記憶を元にした推測で埋めるしかないのだ。

 さて、チェンラーイ近郊だとすると、この曲がりくねった比較的大きな川はコック川であろうと推測できる。写真には目立ったランドマーク的なものは見つけにくいが、チェンラーイ周辺、コック川沿い、ちょっと曲がったような建物の形ということから、一番下に写っている白い建物はホテル、デュシットアイランドかも知れないと気が付いた。

 私も泊まったことがあるのだが、デュシットアイランドはたしか天皇陛下も泊まられたことがあるチェンラーイでは由緒正しい立派なホテルである。

 そこでGoogle Mapで航空写真を確認してみた。



 2001年からはやはり変わっているようにも見えるが、ちょうど上の埋め込み地図の右下の上空から、左上に見下ろしたのだと思われる。

 とりあえずこの写真はどこかわかったのだが、実は他にも飛行機の窓から撮った、どこだか全くわからない写真がいくつか残っている。また暇があれば、写真から空の記憶を辿る旅をしてみようと思う。

【写真】2001年11月
【文章】2018年1月
  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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