最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

Chenrai チェンラーイ

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

何度も降り立ったチェンラーイの街角

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 私の旅行は、国外でも国内でも『着いたところが目的地』のフラリ旅が多い。『今回は北の方へ行ってみよう』といった方向性は決めるが、例えば鉄道のチケットが取れなかったら、それすらもその場で即刻変更してしまう程度の緩やかな方向性だ。

 こういった旅は自由でいいが、およそ非効率的である。せっかく訪れても行きそびれた場所が残ることも多い。天候が悪かったり、交通機関の運休などのトラブルで断念したりすることも珍しいことではない。旅は一期一会である。そういう時は次に訪れる時の楽しみを残しておいたと解釈することにしている。

 そういうとき、世間一般では「またいつか(来ようね)」と言うようだ。しかし、私は『いつか・誰か』というのは苦手だ。仕事でもそうだが、『いつか・誰か』というのは実現に向ける意志と実行力に乏しい人がよく使う。他力本願的に実現できればいいな、という程度であって、自らが実現させる気概が感じられない無責任な言葉だと思ったりもする。だから機会がやってきても、できない理由探しをしてチャンスを逃してしまう。経験上、例え実現できなくても、目標時期を決めてしまうだけで、実現に向かって進めることは多かったように思う。

 話が逸れたので、元に戻そう。

 一度旅をして、次はそこから足を伸ばしてみたい場所、行きそびれた場所などがあると、次に機会があったときにフラリと足を向けることもしばしばあった。そんなときには、一度訪れた街を足場にすることが多い。

 写真のチェンラーイの街は、同名のタイ最北の県の県都である。チェンラーイ県はミャンマーやラオスとの国境も有し、その中心にあたる県都はちょうど良い足がかりとなる要所で、私も数度訪れている。

 古い写真を眺めていると、時期は異なるのに同じ場所の写真があったりして驚くこともある。わざと同じ場所・同じアングルで撮ったものもあるが、偶然に同じ場所が写っているものもあるのだ。この写真もどうやら以前の記事で紹介した場所と近い場所で撮ったものらしい。ただし当記事の写真は更に4年古くて2004年のものになる。

 以前の記事の際、Googleストリートビューで場所を探したので、特徴的なプーマとアディダスの看板を覚えていた。これがなければわからなかったかも知れない。ただし現在ではこの看板もなくなっているようだ。ちなみにさらに3年古い2001年に訪れた時のチェンラーイの街の写真も発見したが、まだ場所が特定できていない。16年も経つと看板なども変わっていて、街角のスナップ写真の場所特定は難しくなってくる。

【写真】2004年4月
【文章】2017年9月

チェンラーイのバスターミナルの片隅で

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 バスターミナルの片隅で、ちょっとした軽食か飲み物なんかを探してブラついていた時の写真だったと思う。色とりどりのバスも、ターミナルのホームで客が乗りこむのを待っているのではなく、まだ順番待ちなどで出発まで時間があって、ターミナルの端で待機しているものばかりだ。

 旅行の写真と単に言っても、色々種類があると思う。私の場合はだいたい旅の記録として撮っているだけだ。当然ながら観光地や名所などの写真も多いが、後から見て面白いのは、生活感が漂っていたり、何気ない場所の、何気ないショットかも知れない。何気ない場所であるだけに強烈に記憶に残っていることも少ないので、写真を見てゆっくりと思い出すこともあるのだ。

 ただ昔に遡るほど、こういった何気ない写真は少ない。というのも、銀塩カメラの時代はフィルム代は馬鹿にならなかったし、デジカメになると随分身近にはなったが、それでも一般的に出回り始めたころは、現在のようにほとんど気にせずに撮りまくれるほどフラッシュメモリの容量は大きくはなかった。今から思えば予備のメモリをたくさん用意して撮りまくればよかったのかも知れないが、やっぱりメモリカードもそれなりの値段がしたし、プロでもなければパシャパシャ撮りまくるイメージではなかったと思う。

 現代のように何でも気軽に撮れない中で、名所や名勝ではない場所、自分や知人等が写っていないスナップを何気なく撮るという行為が身体になじんでいなかった、といえばよいのかも知れない。

 恐らくこういう何気ない風景というのは、名所よりも大きく変わっていくはずだ。こういった風景があまり記録されておらず、記憶も薄れていくのが、少し寂しくもある。

【写真】2004年5月
【文章】2017年9月

放浪の中で撮ったタイ北部の街角の写真と時系列で断片的なデータから継続的なデータが蓄積される新情報化社会の妄想

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 写真は一人でタイをフラリと放浪していた時に撮ったもので、確かチェンマイかチェンラーイの夜市の近くだったような記憶があった。

 何の気なしに撮ったものだと思われる。最近こうした過去の旅行の街角で撮ったスナップ写真などを元に、過去に訪れた場所をGoogle Mapなどで辿って散策するのも趣味の一つだということは以前の記事にも書いた通りだ。変わっているところもあり、変わっていないところもあり、それがまた楽しい。

 上記の場所もストリートビューで探ってみたが、目印となるものがかなり変わっていて、なかなか見つけにくかった。上の写真でかろうじて目印として捉えられるのは、Pumaの看板やタイ語でタイ・タナーカーン(タナーカーンは銀行の意味)と書いてある左手前の赤い看板くらいしかない。が、最新のストリートビューでは、それらの看板は変わったり無くなったりしていたのだ。



 しかし、昨今Googleのストリートビューでは、撮影した時期を選べる場所も増えてきている。さすがにかなり古い時代に遡れる場所は少なくないようだが、街中であれば複数の時期を選択できる場所も増えてきた。ストリートビューの画面左上に『ストリートビュー - ○月 20xx』などのように表示されているところをクリックすれば、時期を選ぶことができる場合がある。

 この場所も時期を選んで2012年までさかのぼることができた。、右側のPumaの看板や、左手前の銀行の看板が、表示は若干違うものの同じ場所にあるので、すぐに特定することができた。



 今後、どんどんこういったデータが蓄積されていくのだろう。それも意識的に集めた時系列で断片的なデータだけではなく、無意識的に収集された継続的で膨大なデータが。それをどう使ったら、どんな新しい世界が広がるのだろうか。私のような凡人には、その世界がどんなものか想像もつかないのだけれど。

 電子的な計算機が進歩し、現代のPCに至るまで、まだ百年経っていない。しかし単純な計算機能の役割を人間の脳から奪うには十分だった。HDDなどの記憶媒体あるいはネットの機能は、人間の脳から記憶という機能も奪っていっているようにも思える。昨今、覚えるよりもググるほうが早い。もちろんまだ五感のうちで電子データ化できるのは一部でしかないが。

 そのうち人間の脳から、五感の記憶、というのは必要なくなってくるのかも知れない。すべてデータ化し、また再現までできれば、脳で覚える必要はなくなる。

 人間の脳から、判断の能力も必要なくなるのかも知れない。AIなどの進歩はかなりのレベルまで来ている。1年半ほど前にも某世界的IT企業のAI等の最先端ラボを見せて頂いた。恐らく実際の人間に近い人格をそのままAIに持たせることも、近年中には実現できると思われた。ただ、科学的、といえば良いのだろうか、人間の脳髄の機能、そのパルスや電気信号を読み取って完全に再現するのは、もう少し時間が必要ではあると思われるが。

 映画『マトリクス』みたいな世界も、もしかしたら将来の可能性の一つなのかも知れないな、と妄想しつつ、とりあえずとりとめもないので、今日はこの程度にて。

【写真】2008年1月
【文章】2017年7月

国境のゲートをくぐるとタイ

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 ラオス側ファイサーイからメコン川を渡船で渡ると、対岸はタイのチェンコーン。
 
 入国者を迎える大きな門があり、その向こう右側の建物がイミグレーション。道路の左側には、たまに来る旅行者などを捕まえようとソンテウがのんびりと待ちかまえている。
 
 そのままバス乗り場までソンテウ(乗合タクシー)で行って、チェンラーイ行き最終バスに乗るつもりでいたが、ソンテウの運転手が、どうせならチェンラーイまでチャーターで行かないか、と声をかけてきた。

 だが少人数のチャーターでは値段が高くなってしまう。そのとき、ルアンパバーンから同じスピードボートに乗り、同じ国境の渡船で来た金髪女性2人組がやってきた。ソンテウの運転手は彼女らと一緒ならどうだ?と言う。確かにそれなら妥当な線だ。バスより若干高めではあるが、到着時間を考えると悪くはない。彼女達がOKなら構わない、というと、ソンテウの運転手は嬉々として2人組に交渉しに行った。
 
 だが残念ながら、彼女たちはミャンマー国境の街メーサーイに向かうとのことだった。「君もメーサーイに行かないか?」とソンテウの運転手。しかし「行ったことあるので今回はいい。バスでチェンラーイに行くよ。」と断った。少し残念そうな運転手に、元の予定通りバス乗り場まで乗せて行って貰うことになった。

【写真】2004年4月
【文章】2005年12月  【修正】2016年6月、2018年1月

タイ北部の小さな田舎町チェンコーンのメインストリート

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 メコン川に面した北部の小さな街チェンコーンは、タイ最北の県チェンラーイ県に属している。

 この辺りのメコン川はラオスとの国境になっており、対岸のラオスのファイサーイとの国境が開かれている。当時、外国人観光客にも開かれているタイ=ラオス間の国境は5カ所であったが、そのうちの1つだった。
 
 メコン川と並行して延びるメインストリート沿いにこじんまりとした街が広がっている。町外れにある国境の渡船の船着場から、逆側の町外れのバスターミナルになっている市場まで、約1kmほどの小さな街だ。
 
 写真はその中心部らしきところである。一昔前の日本の田舎町の情景を彷彿させるものがあるように思う。

【写真】2004年4月
【文章】2005年8月 2017年11月改訂


  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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