私の旅行は、国外でも国内でも『着いたところが目的地』のフラリ旅が多い。『今回は北の方へ行ってみよう』といった方向性は決めるが、例えば鉄道のチケットが取れなかったら、それすらもその場で即刻変更してしまう程度の緩やかな方向性だ。
こういった旅は自由でいいが、およそ非効率的である。せっかく訪れても行きそびれた場所が残ることも多い。天候が悪かったり、交通機関の運休などのトラブルで断念したりすることも珍しいことではない。旅は一期一会である。そういう時は次に訪れる時の楽しみを残しておいたと解釈することにしている。
そういうとき、世間一般では「またいつか(来ようね)」と言うようだ。しかし、私は『いつか・誰か』というのは苦手だ。仕事でもそうだが、『いつか・誰か』というのは実現に向ける意志と実行力に乏しい人がよく使う。他力本願的に実現できればいいな、という程度であって、自らが実現させる気概が感じられない無責任な言葉だと思ったりもする。だから機会がやってきても、できない理由探しをしてチャンスを逃してしまう。経験上、例え実現できなくても、目標時期を決めてしまうだけで、実現に向かって進めることは多かったように思う。
話が逸れたので、元に戻そう。
一度旅をして、次はそこから足を伸ばしてみたい場所、行きそびれた場所などがあると、次に機会があったときにフラリと足を向けることもしばしばあった。そんなときには、一度訪れた街を足場にすることが多い。
写真のチェンラーイの街は、同名のタイ最北の県の県都である。チェンラーイ県はミャンマーやラオスとの国境も有し、その中心にあたる県都はちょうど良い足がかりとなる要所で、私も数度訪れている。
古い写真を眺めていると、時期は異なるのに同じ場所の写真があったりして驚くこともある。わざと同じ場所・同じアングルで撮ったものもあるが、偶然に同じ場所が写っているものもあるのだ。この写真もどうやら以前の記事で紹介した場所と近い場所で撮ったものらしい。ただし当記事の写真は更に4年古くて2004年のものになる。
以前の記事の際、Googleストリートビューで場所を探したので、特徴的なプーマとアディダスの看板を覚えていた。これがなければわからなかったかも知れない。ただし現在ではこの看板もなくなっているようだ。ちなみにさらに3年古い2001年に訪れた時のチェンラーイの街の写真も発見したが、まだ場所が特定できていない。16年も経つと看板なども変わっていて、街角のスナップ写真の場所特定は難しくなってくる。
【写真】2004年4月
【文章】2017年9月
【文章】2017年9月