最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

kanchanaburi カンチャナブリー

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

古い銀塩のカメラの写真 恐らくクワイ河の光景

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 これは古いフィルムに残されていたもの。インスタントカメラと同等の何かの付録についていたような安物カメラで撮ったもので、写りも悪い。

 昔の銀塩カメラでは、デジカメのようにタイムスタンプも残らないし、GPSと同期などしているはずもない。記憶が薄れてくると、いつどこで撮った写真かわからないものも多くなってくる。フィルムの前後の写真をヒントにするしかないが、当時はフィルムも現像費用も安くはなく、そんなにパシャパシャ撮る習慣がなかったのは以前にも述べた通りだ。

 このフィルムの前のコマは、カンチャナブリー県のナムトク、次のコマはナコーンパトムの写真だった。直線距離でも100km以上離れているし、時間的にもかなり間がある。だが、その間でこれだけの大きな河は他にはないので、恐らくはカンチャナブリーの有名な『戦場に架ける橋』で知られるクワイ河の光景だと思う。

 ちなみにクワイ河は『戦場に架ける橋』の少し下流で、大クワイ河と小クワイ河が合流し、メークロン河と名前を変える。この下流域のサムットソンクラーン県にはタイ国鉄メークロン線の終点駅があり、鉄道駅付近の市場が有名だったりもするが、それはまたの機会に紹介する。

 写真は1997年2月、いまからちょうど20年前のものである。風景が変わっているのか、変わっていないのか…恐らく変わってはいるのだろうと思う。当時の記憶ももう薄れてしまった。しかし、写真を見ていると感じた風や太陽が思い出され、妙に懐かしい気分になったりするのだ。

【写真】1997年2月
【文章】2017年2月

カンチャナブリー市街 in 1997

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 1997年当時のカンチャナブリー市街中心部に近いところの街並みである。当時の安物の銀塩カメラのネガからスキャンしたものだ。

 当時、はじめて歩いたバンコク以外の街がカンチャナブリーだった。鉄道かバスでやってきて、とりあえずは情報収集ということで、街を歩いていた時だったような気がする。正確な場所は覚えていない。

 日射病になりそうな日差 しに辟易して、デパートあるいはスーパーのような3~4階建くらいの建物に入った覚えがある。ついでに中をブラついていると、BGMでタイ語版の「北酒場」が流れてきた。そして2番に突入すると、歌詞は日本語だ。思わず口ずさんでいると、それを見ていた店の人が、素晴らしい微笑みを返してくれたのを、今でもよく覚えている。
 
【写真】1997年2月
【文章】2006年3月  2016年6月、2018年2月修正

快晴のカンチャナブリ郊外サイクリングの思い出

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 カンチャナブリーで泊まったゲストハウスの近くにレンタルサイクル屋があったので、TAT(説明は後述)でもらった地図を頼りに、ちょっと遠めの寺院まで自転車でいってみることにした。

 ところが地図の縮尺はかなり出鱈目であった。道を間違えたのかと思うほど、進んでも進んでも次の交差点が来ない。市街から少し離れた部分の縮尺は100m分の距離で1km以上あった。右下に【 |_____| 500m 】  のような縮尺の記号が書いてある地図なのだが、そんなことは全くお構いなしのようだ。実はタイでは観光案内所で渡された地図でさえ、かなりよくありがちな話であると知るのは後のことだ。

 そして写真を見ればおわかりの通り、見事なほど空は晴れわたっている。いい天気の中でのサイクリングは最高だろうって?とんでもない。

 南国の太陽の日差しは、浴びているだけでも刻々と体力を奪う凶器である。その中で1時間以上、ホットプレートのようになったアスファルトの道で自転車を漕ぐというのは、もはや無謀とも言える。

 写真左に写っているようなドライブインあるいは大衆食堂兼喫茶店のようなところが所々にあるのだが、見つけるたびにジュース休憩になる。そんなときは日本ではあまり飲まないコーラやファンタ、サッパイ(スプライト)がやけに美味しい。

※TAT…Tourism Authority of Thailand(タイ政府観光庁)の略で、観光地や方々の都市に支局のインフォメーションデスクがある。要は政府が運営する観光案内所。日本にも東京・大阪・福岡にTATオフィスがあり、観光産業に力を入れていることがよくわかる。

【写真】1997年2月
【文章】2005年11月 2018年1月修正

鉄道橋を歩いて渡ると前から列車がやって来る

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 前日の記事で紹介したカンチャナブリーのクワイ河にかかる橋は鉄道橋ではあるものの、住民や観光客はこの橋を歩いて渡ることもできる。私も渡ってみることにした。

 レールの間に敷板があり、そこを歩いていくことになる。しかしこの橋は現在でも普通に鉄道橋として使われている橋なので、当然渡っている途中に列車 が来ることもありうる。そのときはどうするのかというと、上の写真の中ほどに見える待避所に入り、そこで列車をやり過ごすのだ。

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  幸か不幸か、私が渡っている時にも前から列車がやってきた。最寄りの待避所に入り、列車をやりすごす。列車のスピードはゆっくりであるが、 電気機関車のモーターの轟音、重い列車が鉄橋を揺らす振動、さらに至近距離での列車の起こす気流は、思っていたよりもはるかに凄まじい。下が河であることも合わさって、かなり迫力とスリルがある。

【写真】1997年2月
【文章】2005年11月 2016年6月若干修正

カンチャナブリ随一の名所 戦場に架ける橋

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 映画「戦場にかける橋」の舞台となったことで有名なカンチャナブリー。

 映画をご存じない方のために端的に説明すると、第二次世界大戦(大東亜戦争)の時代、日本軍がバンコクとビルマのラングーン(現在はミャンマーのヤンゴン)間の鉄道敷設に於いて、このクワイ河に橋を架けなけ ればならなかった。この時の使役していた連合軍の捕虜と日本人将校とのせめぎ合いを描く映画である。

 映画はフランス作家のピエール・ブー ルが書いた小説「クワイ河の橋」が原作になっている。あくまで小説ではあるが、連合軍捕虜や他のアジア人を強制労働で使役し、多数の犠牲を払って、この「死の鉄道」と呼ばれる泰麺鉄道を造ったという史実は間違いないものとされている。

 当時の橋は木製で、今残っているものは後世に作られたものだそうだ。鉄道も現在ではミャンマーまでは通じてはおらず、カンチャナブリーの少し先、ナムトクが終点になっている。

 今ではその痛ましい過去の傷跡もなく、クワイ河は悠久の時を刻んでいるかのように見える。

【写真】1997年2月
【文章】2005年11月 2018年1月若干修正
  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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    2016/6/2開設