最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

中部 Chūbu

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

地図で見た地形が眼下に広がる

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 昼間に飛行機に乗った時、天気が良ければ眼下には鳥観の地図が広がっている。頭の中の地図の記憶と照らし合わせながら、あっちは〇〇、こっちは××、と探しながら、地形を眺めるのが好きだ。行ったことがある場所、あるいは見知っている場所でも、上空から見ると違った発見もあるかも知れない。


 上の写真は東京湾。右手前が千葉県の館山、手前の湾に突き出る陸地の先端に洲崎灯台があり、房総フラワーラインまで目で追える。そこから北に延びる海岸線には、よく釣りに行った那古船形や冨浦、勝山、保田、金谷の漁港までもが確認できる。

 左側は三浦半島である。城ヶ島や久里浜、そこから抉るような曲線を描いて横須賀、その向こうには横浜が見える。西には湘南海岸が続く。この写真ではわかりにくいが、江ノ島も確認できた。

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 こちらは富士山のその周辺。上空から見ても、やはり高い独立峰は美しくて目立つ。

 左側の市街が富士市やその奥の富士宮市、右側の市街が沼津市・三島市、奥に裾野市。手前は伊豆半島である。だいたい修善寺の上空くらいに居たのだろう。

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 山頂付近に白い帽子を被った山脈が3つ連なっている。手前から順に、赤石山脈・木曽山脈・飛騨山脈。すなわち日本アルプスである。

 こうやって見ると、やはりアルプスなどと言うだけのことはある。日本の標高が高い山ベスト10のうち、1位の富士山以外の2~10位はすべて日本アルプスにある。ベスト30まで伸ばしてみても、御岳山以外はすべて日本アルプスの山である。ちなみに御岳山は写真奥の一番左端に見えている白帽子だ。

 あの山は北岳かな、あそこが奥穂高かな、などと思いながら見ていると、すぐに時間は過ぎてしまう。我々は既に知っている地図の形と照らし合わせて見ているだけだが、こうやって鳥瞰で見られない時代に地図を作った人々が飛行機に乗ればどんなに感動するだろう、と想像したりもする。

【写真】2019年1月
【文章】2019年5月


金沢の『忍者寺』前田家所縁の妙立寺

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 金沢に『忍者寺』と呼ばれるお寺がある。門にも家紋が入っている通り、加賀藩前田家ゆかりの日蓮宗のお寺で、妙立寺という。正直のところ、通称の方がインパクトがあって覚えやすく、妙立寺と聞いてもピンと来ないこともある。ちなみに、この『忍者寺』という呼び名は、登録商標にもなっている。

 私が初めて訪問したのは昭和時代、私が小学生1年生だった時の家族旅行だ。なぜそこまではっきり覚えているかと言うと、このお寺は未就学児の見学は不可だったので、一つ年下の弟は中に入れなかったのだ。この決まりは当時から2019年現在でも変わっていないらしいので、子連れで訪問される方はご留意されたい。昔はそんなことは知らずに来たわけだが、せっかくなので私と母が中に入り、父と弟は寺の外で待つことになったのである。

 ただし、そんなトラブルがなかったとしても、この忍者寺はかなり印象に残っているスポットだった。大人になるにつれ、たくさんの土地を旅し、多くの場所を訪れたが、ここはその中でも指折りの面白かったスポットに入っていた。とはいえ、子供の頃の話なので、成長期に受けた強い印象が誇張・美化されているだけかも知れなかった。そして三十年以上の時を経た後、それを確かめる機会が訪れたのであった。

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 忍者寺といっても、特に忍者と所縁があるわけではない。前田家の前衛基地としての役割を担う妙立寺には敵を欺くための隠し階段・隠し扉・見張り台・落とし穴・抜け穴などの様々な工夫や仕掛けが施されている。これが忍者屋敷を彷彿させるので、忍者寺と呼ばれるようになったのだ。

 歴史好きの方なら周知のことではあるが、戦国時代には寺社は要塞として使われることも多かった。塀や門を持ち、兵団が詰められる広さがあり、攻める側も畏れて攻めにくい、等の好条件が揃っているのである。


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 中は土足厳禁である。何人かの班ごとに案内人が付いて見学する。残念ながら中は撮影禁止なので、内部の写真はない。

 大人になってから見学した感想は『子供の頃よりもさらに面白かった』である。子供の頃には数々の仕掛け自体は面白くて印象深かったのだが、その全体の構造を頭で組み立てることは難しかった。大人になると、その伽藍の複雑な建築構造や建築思想などにも興味が及ぶ。さらには当時の政治等の歴史的背景、あるいは武装や戦などの知識が、それらの理解を更に一段押し上げてくれるのである。

 伊賀や甲賀の忍者屋敷にも行ったことがあるが、正直のところ忍者寺の方が私的には好きだ。その構造や仕掛けは、洗練されたパズルが綺麗に組み合わさっているようで、芸術にも思えるのである。この感覚は伊賀や甲賀にはなかった。

 かなり老朽化が進んでいるとのこと。一般公開されているうちに行っておいたほうが良いのかも知れない。

【写真】2014年5月
【文章】2019年5月

フォッサマグナと糸魚川ジオパーク

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 新潟県糸魚川市にフォッサマグナパークというジオパークがある。

 フォッサマグナは説明するまでもないかも知れないが、地質学上で本州を東北と西南に二分する溝であり、その西端は糸魚川静岡構造線(糸静線)として知られている。

 ジオパークとは、地球科学(=地学)的な価値を持つ公園を意味する造語であるが、これを名乗るにはジオパークネットワークの審査を受けて加盟している地域だけである。

 糸魚川ジオパークは世界ジオパークネットワークに日本で最初に加盟した3つのうちの一つである。ちなみに他の二つは洞爺湖有珠山と島原半島である。糸魚川ジオパークを訪問した2014年5月当時、さらに山陰海岸、室戸、隠岐が加盟していたが、現在ではさらに増えているはずだ。

 世界ジオパークではないが、日本ジオパークネットワークに加盟している場所も多数あって、これもジオパークと名乗ることができる。世界に加盟しているものはすべて日本のネットワークにも加盟している。

 ところで糸魚川ジオパークは、写真にも見られる通り「ジオパーク発祥の地」を標榜している。これは嘘ではなく、ジオパークを世界で最初に名乗ったのはこの糸魚川で、国際的なジオパークネットワークはそれよりも十数年も後に作られたものである。今では糸魚川も世界ジオパークネットワークに属しているが、国際的なジオパーク保全の機運の高まる十年以上も前からジオパークを名乗り、活動を行ってきたことは、もっと知られても良いことだと思う。

【写真】2014年5月
【文章】2019年3月

 

1995年頃に車から何気なく撮った写真の場所を辿る

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 古い写真やネガを整理していると、どこで撮った何の写真なのか、覚えていないものもたくさん出てくる。デジカメが普及していなかった頃の写真なので、GPSによる位置記録どころか、タイムスタンプもない。

 ネガがなければ前後の写真さえわからないし、あったとしても当時はフィルムも現像もそれなりに高額で、そんなにパシャパシャ撮る習慣はなかった。若い頃はそもそも写真では伝わらないので、記憶しておけば良い、くらいに思っていたこともある。だから次の旅で前の旅の余りや、家族の使いさしのフィルムが入っているのをそのまま使うなんてことも普通で、ネガの前後の繋がりを見ても不明な写真は多々ある。

 この写真もそんな中の一枚である。正確な日付はわからない。ただネガをスキャンしたもので、前後を見る限りは、1995年頃に友人の車で新潟あたりにドライブに行ったときのものだと思う。確か春日山城址を暑い中ヒィヒィ言いながら登った覚えがあるので、夏休みだったかも知れない。

 何を意図して撮ったのか、今となってはよくわからない。たぶん車の中で何気なく撮った一枚だろう。さすがに場所はわからなかったが、手掛かりを探っていくと推定できてしまうものである。

 場所は恐らくここだ。(Googleストリートビュー)


 唯一、場所を表している手がかりは、左の電柱にある看板の『大池』である。新潟で昔から有名な大池と言えば、白鳥の飛来地として有名な大池だろう。看板が草臥れているのでわかりにくいが、どうやら下部の赤い矢印が左方向を示しているように見える。どうやら大池が左方向にあるらしい。

 そういう位置関係にある国道などの主要道を探ってみる。というのも、写真には信号機が写っているが、大池がある周辺は結構な田舎なので、幹線道路でなければ信号機のある交差点はほとんどないからだ。

 予想通り、そういった位置関係にある交差点は多くはなかった。だが同じ建物などの光景の共通点がある場所は見つからない。20年以上も経っているし、景色が変わってしまっても不思議ではない。

 決め手になったのは交差点の手前右端にある写真の赤い看板である。なんとなく見覚えのあるデザイン、恐らく昔のNational、松下電器のロゴではないかと思った。つまり電器屋さんか何かではないかと。そして候補となる交差点をGoogleストリートビューで見てみると、建物は変わっているがPanasonicの青いロゴが表示されており、確かに電器屋さんがある。

 更に見ると、写真左奥の緑文字の看板の後ろに見える青い看板は、車の修理工場などによく掲げられている車種が並んだ看板で、一番上は『アルト』と書かれているように見える。その修理工場と看板は今も同じ場所にあるのだ。

拡大
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 景色は大きく変わってしまっていても、やはり名残というのはあるものだ。以前からしばしばやっているのだが、やはりこの遊びは結構楽しい。もちろんその目的は今のところ自己満足でしかないが、もしご覧の方で同様の写真のお悩みなどがあればご相談頂く分には構わない。

※過去記事はGoogleMapやストリートビューで過去の記憶を辿るのタグの記事にてご覧になれます。

【写真】1995年前後、夏
【文章】2018年6月

空からの富士山に思う

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  以前の記事『新幹線から見る富士山』で、新幹線に乗ったら富士山がよく見えるという話を書いたが、羽田や成田から飛んだ時にも、昼間であれば綺麗に見えることが多かった気がする。自分では日頃の行いが良いと思ったことはないが、実は良いほうなのだろうか。

 飛行機の窓越しということもあり、なかなか写真では綺麗に撮れないのだが、雲海の間に浮かぶ富士山を、車窓ならぬ機窓からぼんやり眺めるというのも良いものだ。

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 富士山から西には南アルプスが見える。高い山々が白く雪を被っているのは、これが1月の写真だからだ。その左側には中央アルプス、さらに奥に北アルプスまで見えたが、このサイズの写真にすると小さくなってしまうので割愛する。

 我々は当たり前のように享受しているが、特別な技術も才能も持たない人間が、このような光景をなんの苦労もなく見ることができるというのは、改めて考えてみるとすごいことなのだろうと思う。昔なら考えられない光景だ。伊能忠敬が見たら、どんなに羨ましがることか。

 鳥瞰というが、鳥が高度1万メートル以上で飛ぶことはほぼない。まさに近代以降の人間だけが眺めることができる光景である。未来の人間も同様に眺められるのか、それとももっとすごい、例えば宇宙や月からみた地球の景色が一般的なものになるのか、それはわからないのだけれど。

【写真】2015年1月
【文章】2018年5月


  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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