最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

中部 Chūbu

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

地震で水に沈んだ山古志の木籠集落跡

DSC_0732

 昨日の記事で、山古志村と新潟中越地震に触れたので、もう少し書いておこうと思う。

 2004年の地震当時、大惨事のニュースが飛び交う中でも一際記憶に深く刻まれているのが、山古志の木籠(こごも)集落で起きた災害だった。

 地震で起きた土砂崩れが川の水をせき止め、いわゆる天然のダムのようになってしまった。そのダム湖は、木籠集落を飲み込み、沈めてしまったのである。全24世帯のうち14世帯が水没、残り10世帯も半壊あるいは全壊したのだという。

DSC_0738

 現在では既に水は引いているが、土砂と湖水に沈んだ家屋跡が残されている。

20140920_122644

 穏やかな景色となっている今でも、ここに集落があったとは信じがたい。なんだか現実の風景に思えないような、そんな感覚だ。

DSC_0734

 すぐそばに、震災復興資料館『郷見庵』がある。休日の昼頃でなにかイベントをやっておられたのか、非常に賑わっていた。

DSC_0735

 郷見庵の中には、当時を窺い知ることができる様々な資料が展示されている。

 以前の震災遺構訪問の記事の繰り返しにもなるのだが、私はこういった爪痕が残る地は、なるべく多くの人が自分の目で見た方が良いと思っている。物見遊山や好奇心で見に行くのは、不謹慎だとの誹りもあることだろう。しかし私はそれでも良いと思う。知らなければ何も起こせないし起こらない。無知で無関心なまま風化していくよりも良いと思うのだ。

【写真】2014年9月
【文章】2018年4月

山古志の復興のヤーコン

DSC_0743

 二十代以上の方なら、山古志村と聞けば、新潟中越地震を連想される方も多いかも知れない。私は地震当時埼玉県朝霞市のマンションに住んで居たが、今でも揺れた時のことを覚えている。

 山古志村は2004年の新潟中越地震で、村落に通じるすべての道路が寸断されたり、崩れた土砂にせき止められて溢れた川の水が集落に襲い掛かったりと、甚大な被害を受けた。翌2005年に長岡市に編入されたので、現在では自治体としての山古志村はないが、市内の地名として名前を残している。

 地震の後、復興の活動の一つとして、山古志の集落ではヤーコンの栽培が始めらたそうだ。今では特産品の一つとなっている。ヤーコンは昨日の記事でも紹介しているが、外観はサツマイモ、生の食感は梨、火を通した食感は山芋、考えてみれば不思議な、南米産の植物の根である。

 そもそも観光地でもなく小さな山奥の村なのでレストランなども多くはないが、上の写真の『山古志ごっつぉ 多菜田(たなだ)』さんで食べさせてもらえる。お店の名前は、山古志の風物詩でもある棚田と掛けてあるのだろうと思う。

DSC_0740

 みんなヤーコン入りのカレー『野魂カレー』を頼むのかと思って周囲を見てみれば、ほとんどの人が定食を頼んでいた。定食はヤーコン含め、地元で採れた野菜を使用されているとのこと。

 二人だったので、カレーと定食を一つずつ頼んだ。一人旅も気楽で良いが、やはり食事のときは複数人数のほうがシェアしあって多種類を頼めるので良い。

 ヤーコンも他の野菜も新鮮で美味しい。味付けは素朴な感じだが、それが食材の美味しさを引き立てる。

【写真】2014年9月
【文章】2018年4月

碓氷峠の美しいアーチの鉄道橋

20130922_114353

 群馬と長野の間にある碓氷峠には、象徴的な存在とも言えるアーチ橋がある。美しいと思う。この鉄道橋は、鉄道インフラを急速に発展させていた明治時代のものである。この時代の産業遺産や現存している構造物は、なんとも芸術的な佇まいのものが多いと思う。

 信越本線の鉄道橋であったが、昭和三十八年に新線が敷かれて廃止になった後は使用されていないそうだ。今では新幹線も通って、この区間の在来線自体が廃線となっている。

 ちなみに長野県内や新潟県内の信越本線の大部分は第三セクタに経営移管されたため、残っているJRの信越本線は3つに分断されている。

 また、ここに至る道路も、今では走りやすい新道ができており、狭くて九十九折の山道を走る必要はない。しかし特に週末ともなると、この橋にやってくる観光客のクルマがそれなりに走っている。漫画イニシャルDでもこの光景が描かれているが、さすがに今でも碓氷峠の旧道で走り屋たちが夜な夜な走っていることはないだろうと思う。

【写真】2013年9月
【文章】2018年2月

全国に『湯の○温泉』が多くて混同する話

P1020255

 今となっては昔の話であるが、大学在学中に旅行業務取扱主任者の資格を取った。2018年現在では旅行業務取扱管理者という名称になっている。旅行好きということもあったし、将来何か役にたつかも知れない、と思って取得したのであるが、少なくとも今までの人生で資格が役にたったことはなかった。ただ学んだ知識は無駄にはなっていないと思う。

 試験では、旅行業法や約款の内容の他に、観光名所などの知識も問われる。そして私は国内の温泉地の名前や所在、特徴などを覚えるのに、少々苦労した記憶がある。元々あまり温泉が好きというほどでもなかったし、学生時代の貧乏旅行で値の張る温泉宿に泊まることも難しいので、あまり身近ではなかったのは事実だ。そしてあまり身近ではないことを、ただただ詰め込みで覚えるというのは面白くないものである。

 特に似たような名前の温泉地に苦労した覚えがあった。それが最初に『湯の』とつく、湯のナントカ温泉である。地名や特徴が付いているわけでもないので、なんの連想もヒントもなく、ただ覚えなければならない。それが苦手だったのだ。

 この写真の湯の山温泉もそのうちの一つである。ちなみに混同してしまう湯のナントカ温泉は、サッと思いつく有名な温泉だけでも以下のようにたくさんある。細かいところはもっとあるだろうし、もしかしたら忘れているのもあるかも知れない。
  • 湯の山温泉 三重県
  • 湯の川温泉 北海道
  • 湯の川温泉 島根県
  • 湯の花温泉 京都府
  • 湯之谷温泉 鹿児島県
  • 湯の峰温泉 和歌山県
  • 湯の原温泉 兵庫県
  • 温泉津温泉 島根県 (読みは『ゆのつ』)
  • 湯之元温泉 宮崎県
 北海道から九州まで点在している。街の名前などの地名になっているところもある。それだけ日本では温泉が大切な資源として愛されてきたのだろうなと思ったりもする。

【写真】2013年4月
【文章】2018年2月

夕陽に映える稲穂と浅間山(長野県)

P1000735

 9月の夕方、とは言っても、まだ西の空がほんのり赤みを差した橙色に染まりつつある午後5時過ぎ頃だった。ドライブをしていて、たまたま休憩していたのだが、なんとも綺麗に浅間山が見えた。

 手前の稲穂もちょうど鮮やかな黄金色に染まっていて、山の色と対照的で映える。

 ちなみにこの写真、6年近く前ではあるが、写真を見ればどこで撮ったのかは思い出せた。ただ、いつも気の向くままに車を走らせることも多く、何を考えてこのルートを走っていて、どこに辿り着いたのかは覚えていない。

 ただこうして残っている光景の場所は覚えているものもあるというだけだ。この記憶もそのうち薄れてしまうので、とりあえず備忘録として残しておくことにする。


【写真】2011年9月
【文章】2017年7月

  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



記事検索
カテゴリー
ブログコミュニティ
いろいろな旅行ブログ
にほんブログ村 旅行ブログへ

いろいろなタイ旅行のブログ
にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ

いろいろな台湾旅行のブログ
にほんブログ村 旅行ブログ 台湾旅行へ

いろいろな中国旅行のブログ
にほんブログ村 旅行ブログ 中国旅行(チャイナ)へ
メッセージ

名前
メール
本文
Thanks for your visit (UU counts)

    2016/6/2開設