昨日の記事で、山古志村と新潟中越地震に触れたので、もう少し書いておこうと思う。
2004年の地震当時、大惨事のニュースが飛び交う中でも一際記憶に深く刻まれているのが、山古志の木籠(こごも)集落で起きた災害だった。
地震で起きた土砂崩れが川の水をせき止め、いわゆる天然のダムのようになってしまった。そのダム湖は、木籠集落を飲み込み、沈めてしまったのである。全24世帯のうち14世帯が水没、残り10世帯も半壊あるいは全壊したのだという。
現在では既に水は引いているが、土砂と湖水に沈んだ家屋跡が残されている。
穏やかな景色となっている今でも、ここに集落があったとは信じがたい。なんだか現実の風景に思えないような、そんな感覚だ。
すぐそばに、震災復興資料館『郷見庵』がある。休日の昼頃でなにかイベントをやっておられたのか、非常に賑わっていた。
郷見庵の中には、当時を窺い知ることができる様々な資料が展示されている。
以前の震災遺構訪問の記事の繰り返しにもなるのだが、私はこういった爪痕が残る地は、なるべく多くの人が自分の目で見た方が良いと思っている。物見遊山や好奇心で見に行くのは、不謹慎だとの誹りもあることだろう。しかし私はそれでも良いと思う。知らなければ何も起こせないし起こらない。無知で無関心なまま風化していくよりも良いと思うのだ。
【写真】2014年9月
【文章】2018年4月
【文章】2018年4月