最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

【Singapore シンガポール】

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

プラナカン文化の色濃いカトンの路地

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 シンガポールはマレーシアに住む中華系移民、すなわち華僑が中心となってマレーシアから独立した国である。シンガポール土着の文化というのはほぼ残っていないが、大航海時代以降の西欧の支配による洋風の文化、マレーシアの文化、中華風の文化が混じりあい、プラナカンと呼ばれる文化を形成している。

 それらは単に交じり合っているだけでなく、混じり合っている。つまり今やシンガポール固有の文化と言えるまでに醸成されていると思う。
※交じる:区別がつく/分別可能 混じる:区別がつかない/分別不可

 シンガポールの市街中心より東側、カトンと呼ばれる地域は、プラナカン文化が色濃い地域である。昨今の建築は、いわゆる日本や他の国の都市でも見られる普通の近代的なビルであったりマンションであったりすることが多いのだが、カトン地区の街並みはそれらとは一線を画している。

 独特のカラフルな色使いが印象的である。また建築様式は洋風だけでなく、アジア風も多く混じる。そのせいか欧州で見られるカラフルな街並みともまた異なる風情を醸し出しているように思う。雰囲気的には澳門(マカオ)の街並みにも似ているかも知れない。

 私は旅に出ると色々な路地を歩いてみたくなる。当ブログにも各地の路地の写真が結構あるとは思う。しかしシンガポールの路地は地区によって大きく雰囲気や情景が違う。淡路島くらいの広さしかない中で、非常に振れ幅の大きい表情の変化を見せるのは、シンガポールならではの魅力のような気がする。

【写真】2011年11月
【文章】2018年10月

シンガポールの中華街は中国語表記で『牛車水』

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 世界各地の大きな都市に行けばチャイナタウンがあるが、その中国語訳としては『唐人街』と表記されていることが多い。

 中華系移民が大半を占めるシンガポールにも中華街があることは以前の記事でも記した通りであるが、シンガポールでは中華街の中国語表記として『牛車水』が使われていることが多い。もちろん中華街に対する訳語としては唐人街でいいのであろうけれど、中国語でシンガポールのチャイナタウンを指すときは、その地名で呼ぶのが通例のようで、写真の通り街の看板やMRTチャイナタウン駅の中国語表記にも『牛車水』が使われている。

 その昔、このあたりにあった井戸に多くの牛車が水を汲みにやってきたのが由来だそうだ。チャイナタウンの中にはクレタ・アヤと呼ばれるエリアがあるが、これもマレー語で牛車+水の事をさしているのだと聞いた。

 これは以前の記事の補完にもなるのであるが、異国文化の中に華僑文化の街を形成するから中華街(唐人街)と呼ばれるのであって、シンガポールで唐人街と呼ばなかったのはシンガポール人が元を辿れば大半が中華系(=唐人)移民であったからなのかも知れない。今では華僑という意識よりはシンガポール人であるという自我のほうが確立されているように思うが、昔はそうではなかったことの名残かも知れない。いつ頃からそうなったのかは調べてみないとわからない。

【写真】2009年2月
【文章】2018年4月

シンガポールのマレー系マーケット パサール・ゲイラン・セライ

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 これまでの当ブログのシンガポールの記事で何度か記しているが、シンガポールは多民族国家である。中華系が八割近くを占めるが、残りの多くがマレー系とインド系だ。シンガポールの国家の成り立ちや歴史には、その国土の位置からもマレーシアが深く関わっているし、マレー文化はシンガポール文化の素地の一つである。

 シンガポールの中心街から少し東に、昔からマレー系イスラム教徒が多く住んでいた地域がある。マレーの食料品や衣料などを取り扱うお店なども多く集まっていたようだ。その地区の大きな市場が、写真のゲイランセライ市場である。

 写真は2011年のものであるが、綺麗な建物だった。少し前に老朽化が進んだために建てなおされたと聞いた。しかし中は少々薄暗くてディープな雰囲気だった。

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 衣料や食品、お菓子、ハーブ、など様々なお店があるが、やはりシンガポールの他の地区では見かけないものが並んでいることも多い。とにかくマレー文化一色だった。

 当時、あまり写真を撮らなかったので、中の写真が一枚もない。ちょっとディープな雰囲気の庶民の生活の場は、物見遊山的に写真を撮るのは憚られたこともある。昨今ではSNSやスマホカメラも発達して、所構わず写真を撮ってもかなり許容されるようになってきたようだが、当時はまだそこまでの雰囲気ではなかったように思う。

 中にはマレー系の食べ物主体のホーカーズ(フードコートのようなもの)もあって、手軽に本格マレー料理を食べることもできた。

 MRTのパヤレバ駅から徒歩で数分。チャイナタウン、リトルインディアと並んで、シンガポールの多民族国家ぶりを体感できるところだと思う。

【写真】2011年11月
【文章】2018年3月

中華圏は『新年快楽!』 シンガポールも中華圏と言ってもいいのだろうか

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 以前にも過去記事で何度か記しているが、シンガポール国民の七割以上は中華系である。ただし私的には、シンガポールが中華圏の国かというと、ちょっと違うような気がしている。私が使っている中華圏という言葉の定義も曖昧なものではあるのだが。

 確かにシンガポールは華僑が建てた国で、現在でも政治の中枢は華僑が握っている。だがシンガポールは中国の息がかかった国家というわけではない。

 昔シンガポールで仕事をした際に、色々な人と色々な話をしたものだが、主義主張も中華思想ではなく、シンガポール人としての色が濃いように感じた。文化圏としてみても、マレーや西洋の文化を取り込み、プラナカン文化と呼ばれる独自の文化を醸成してきている。また中国語はシンガポールの4つの公用語の一つではあるのだが、若い世代を中心として英語が主流になってきており、華僑の子孫いわゆる二世や三世には、中国語を話せない人も多いと聞いた。

 そんなシンガポールには中華街、チャイナタウンがある。そもそもチャイナタウンがあるということは、シンガポールが中華圏の国ではないことを示しているのだと思う。

 写真は2009年の春節を迎えた頃のチャイナタウンの一角。通りを挟む色とりどりのプラナカン風の建物や背後の建設中の高層建築がいかにもシンガポールらしく思えるのは、過去記事にも記した通りである。春節を祝うチャイナタウンに於いても、シンガポールらしさが垣間見えるというのが、なかなか悪くない風景に思えた。

【写真】2009年2月
【文章】2018年2月

オレンジグローブロードとシンガポールの現実

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 オーチャード通りは、デパート等が立ち並ぶシンガポールでも有名なショッピングエリアだ。この長い通りを西に突き抜けて真っ直ぐ進むと、そのままオレンジグローブロードという通りに入る。この写真は繁華街を抜けてオレンジグローブロードに入ったところあたりだ。ちょうど繁華街から居住区に入る境目辺りという印象だ。

 この少し先にはシンガポールのシャングリラホテルがある。私がシンガポールに2ヶ月ほど滞在して仕事をしたときは、そのシャングリラホテルの更に先にあるウィークリーマンションに投宿していた。

 正直、楽な出張ではなく、きつい作業や苦い思いをした記憶が大半を占める。しかし今となっては泣き言や不平・不満、あるいは恨みや後悔なんてものはない。結局のところ、これらの経験は以降の思考や価値観を形成する重要なパーツの一つとなってくれたのだから。そのころの記憶も思い出の欠片の一つである。

 さて、話は変わるが、シンガポールはタバコやゴミのポイ捨てにも厳しく多様な罰金が科され、ゴミの落ちていない綺麗な街だということで有名だった。fineカントリーと揶揄されたりもしていた。fineは『美しい』という意味合いと同時に『罰金』という意味も併せ持っている。今ではどうかはわからないが、私が学生の頃は教科書にも出ていた。

 実際、繁華街であるオーチャード通りには数十メートル毎にゴミ箱は置かれているし、目立つところにゴミが落ちているようなことは少なかった。日本の繁華街よりも圧倒的に綺麗だったと思う。でも地元の人しか行かないようなところに行くと、実はゴミだらけ、というのもよく見られた。

 写真のオレンジグローブロードも、オーチャードの繁華街からそんなに離れてはいない。しかし歩道の隅や脇の茂みの中は、煙草の吸殻や空き箱、あるいはペットボトルなどが結構散乱していた。正直、特に日本や他の国と変わらない。繁華街などが綺麗なのは、実は清掃業者の人がたくさん配置されていて、彼らが頑張っているだけなんじゃないか、と思うほどだ。

 私の個人的な感想だが、シンガポール国民のモラルは高い方だとは思う。が、全国民が他の先進国と比べて著しく高い、というわけでもないと思う。それなりに社会的モラルが高かろうと、罰金があろうと、捨てる奴はどこの国にでもいるのだろう。

【写真】2009年2月
【文章】2018年1月

  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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