最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

NakhonPathom ナコーンパトム

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

ナコーンパトムの水路と何気ない光景の記憶

2006-05-06_16.03.12

 私はこれまでの人生の中では、どうやら他人よりも記憶力も秀でているように思える経験も多々あった。実際、家内と一緒に行ったところの記憶も、私の方が多く残っているようだ。

 しかし記憶というのは不思議なものだ。どれだけ記憶力が良いほうでも忘れることはある。特に歳を取ると、記憶の引き出しにしまったこと自体を忘れていたり、どの引き出しにしまったのかわからなくて出せないことが増える。そしてたくさん記憶しているはずの私が全く思い出せないのに、家内がよく覚えているようなこともまた多くある。

 思い出せる記憶と思い出せない記憶の違いは何だろうか、と考えたりもする。もちろん印象的なものはなかなか忘れない。衝撃的だったものについて覚えているのは当然と言える。でも例えば何気なく歩いて見た光景で、特に然したる印象を受けたものでなくても、なぜか覚えている記憶もある。

 この写真がそんな一枚になる。2006年に世界一高い仏塔で有名なナコーンパトムの街を散歩中に撮った街中の写真だ。少し町外れにあるサナーム・ジャン宮殿というラーマ6世の離宮を訪れて、その帰りにフラフラと街中まで散策して歩き、一休みした時だったと思う。その時の写真はこれ一枚きりで、特に光景が印象深かったというわけではない。

 ここに来るまでの間にトゥクトゥクタクシーの運転手に何度となく声をかけられて、散歩中だよ、とタイ語で返したらみんな例外なくニッコリ笑い返してくれたのを覚えている。ちなみにタイ人のこの笑顔は挨拶みたいなものだ。

 話を戻すが、写真に右側に写っているのはバス停のようだ。場所を推し量るにはこのバス停と橋の形くらいしか材料がないが、どの道を歩いたのかもほぼ覚えているので、特定するのは容易いことだ。


 橋もバス停も、写真右端にチラリと見える建物も、ほとんど変わっていないようなので間違いない。

 なぜ古い何気ない光景の記憶が残っているのかは不思議でもあるのだが、とりあえず記憶が残っているうちに、なるべく記しておこうと思う。

【写真】2006年5月
【文章】2018年6月

鉄道で通り過ぎた街にいつかは降り立ってみたい ~タイ国鉄にて


FH010001

 自家用車や自転車・オートバイで自ら進むのではなく、公共交通機関を使って旅をしていると、移動の途中で少し気になるところがあっても、なかなか立ち寄ることは難しいものだ。

 鉄道を利用していて駅に入線した時に、なんとなく街の雰囲気を感じることがある。うまく表現はできないが、感覚的なものだ。その街の活き活きとした様子や和やかな風景に惹かれて、ちょっと降りてみたくなることも少なくない。

 だがその場で飛び降りるような経験は多くはない。予備情報が何もないというのも不安要素ではあるが、それは大抵なんとかなることは経験上知っている。しかし、いくら宛先のない放浪の旅をしているといっても、大まかな日程は考えて行動するし、切符は最初に決めた目的地まで買ってしまっている。

 記事上部の写真は1997年に通り過ぎたタイ国鉄ナコーンパトムの駅。世界最大の仏塔で有名な街だ。

 44

 すぐ上の写真は2005年のシーサケット駅。タイ東部のカンボジアとの国境を有するシーサケット県の玄関口である。

 双方の写真を撮った時には、鉄道で通り過ぎただけである。そして駅に停車したときに、なんとなく『いつかは降り立ってみたい』と思った場所である。ナコーンパトムはその仏塔を見に行ってみたかったし、シーサケットはカンボジア国境にあるクメール遺跡に行ってみたいと思っていた。ちなみにナコーンパトムはともかく、シーサケットのクメール遺跡は以前の記事でも少し触れたが、当時カンボジアとの国境紛争により一般人は立ち入れない状態が続いていた。

 そんな想いは、よくある旅の感傷にも似たもので、多くの場合は忘れてしまう。だが、淡い想いであっても、抱き続けていると、いつかはそんな機会が訪れるものなのかも知れない。

 2006年に訪泰したときに、ナコーンパトムにもシーサケットにも降り立つことができ、念願の仏塔やクメール遺跡を見ることができた。ナコーンパトムは写真を撮って9年後、シーサケットは写真を撮って1年程後のことである。

 思えば、旅の『何処々々に行ってみたい』という想いは、他に優先することや日々の生活でやらなければならないことに埋もれて後回しにするうちに、いつしか諦めたり忘れたりすることも多かった。もちろんそれはある程度仕方のないことだとは思っている。現実の日々の生活や仕事を犠牲あるいは疎かにして旅をすることもできなくはないが、失うものも多く、そう簡単ではないだろう。ただ、想いを持ち続けていると、チャンスの女神がやってきた時に、その前髪を掴むことができるような気がするのだ。

※『幸運の女神には前髪しかない』 レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉で、チャンスは通り過ぎてから慌てて掴もうとしても掴めない、という意味。

【写真】上:1997年2月 下:2005年8月
【文章】2017年2月

ラーマ六世王の愛犬の像

37

 以前の記事でも紹介したことがあるが、世界一の仏塔で有名なナコーンパトムの街の郊外に、サナーム・ジャン宮殿というラーマ6世の離宮がある。20世紀初頭に建てられたもので、和洋折衷ならぬ泰洋折衷の見事な建築が見られる。

 この離宮の庭園にあるガネーシャ神像があるのは以前の記事の通りであるが、宮殿の前にはもう一つ珍しい像が置かれている。ラーマ六世の愛犬ヤー・レーの像である。

 元々ヤーレーはラーマ六世がナコーンパトムの刑務所をご訪問された際に所長から譲り受けられた仔犬で、非常にラーマ六世に懐き、王もまたヤーレーを溺愛していたそうだ。しかしある夜、ヤーレーは王宮を抜け出してしまい、近衛兵(王室護衛隊)の敷地で他の犬と喧嘩になってしまったところ、鎮めようとした近衛兵に間違って撃ち殺されてしまった。

37 (2)
上の写真の拡大

 ラーマ六世はその死を深く悲しみ、哀悼詩まで作られた。その詩が犬の像の下のプレートに書かれている。元々そんなにタイ語がわかるわけではないが、さらには文章の格式が高いこともあって、私のタイ語能力では到底読み取ることができなかったのが残念である。

 ラーマ六世についてはタイの歴史上でも様々な面で特徴的な王様だと思う。タイ王家で初の海外留学、放漫政治、浪費家、同性愛者、現在の国旗や仏暦の制定、義務教育の開始、一夫多妻制の廃止、姓氏法によりすべての国民に苗字をつけさせた、など功罪ともに名を残している。いずれにしても近代のタイの文化や政治に大きな影響を与えている絶対王政時代末期(立憲君主制に移行する前)の王様である。簡単に書いてしまったが、詳細に書くと長くなりすぎるので、またの機会があれば書くことにする。

【写真】2006年5月
【文章】2017年1月

下から見上げるともはやSFの世界 世界一高い仏塔プラ・パトム・チェディ

29

 写真ではその迫力を伝えるのは非常に難しい。少し荒いが大きめの写真でアップしておいたので、PCでご覧の方は写真をクリック頂けると、少しは伝わるかも知れない。

 以前の記事でも紹介したが、ナコーンパトムのプラ・パトム・チェディは世界一高い仏塔である。それを下から見上げてみると、もはやSFかアニメの世界の基地や巨大戦艦を思わせるような、ものすごい迫力だ。

 塔は120.45mの高さだが、歴史に残っているだけでも何度か改修を重ねて現在の姿になっているという。原型の約40mの高さの塔がこの内部に残っているらしいが、確認することはできなかった。

【写真】2006年5月
【文章】2006年11月  2016年6月改訂

離宮のガネーシャ神像にヒンドゥ神話とタイ王家の関係を感じる

2006-05-06_14.57.29

 世界一の仏塔で有名なナコーンパトムであるが、この街の郊外にはサナーム・ジャン宮殿という3代前の王、ラーマ6世王の離宮がある。(注)

 その庭園は公園となっており、円形の庭園の中心にはガネーシャ神が祀られている。ガネーシャ神はタイではピッカネートと呼ばれている。

 タイ王室とヒンドゥー神話との繋がりは強い。例えば現王朝の代々の王様が「ラーマ○世」と名乗るのは、叙事詩「ラーマヤナ」のタイ版「ラーマキエン」の主人公でありヴィシュヌ神の化身であるラーマ王子と同一化している、ということは以前にも紹介した通りである。歴史上の王様にも見られ、例えばスコータイ時代の名君ラームカムヘン王も、やはりラーマの名を冠している。

 また首都バンコクの正式名は「クルンテープ」で始まる長い名であることは有名だが、それはヒンドゥー神インドラ(仏教でいう帝釈天)が作らせた神の都に由来している。他にもタイではたくさんヒンドゥー神話にゆかりのある地名や人名などの固有名詞を見ることができるが、ここでは割愛する。

 タイ王室が最上格とするヴィシュヌ神(タイ名はナーラーイ)の他にも、ヒンドゥー神話にはたくさんの神々が登場するが、このガネーシャ神はヒンドゥー神話上最も重要な神の一人、破壊と創造と豊穣の神・シヴァとその妃パールバティーとの子供である、とされる。

 象の頭を持つことで有名であるが、これにはお話がある。詳細はネット上にも情報が沢山あるので、端的に書いておく。

 パールバティが沐浴してるところをシヴァに見られたことがあった。恥ずかしく思うパールバティは、自分の垢から作った人形に命を吹き込んで自分の子供とし、沐浴の見張りをさせる。そこにシヴァがやってきた。子のガネーシャは母パールバティの言い付けを守って押しとどめたのだが、シヴァは怒ってクビを切り落としてしまう。

 それを知ったパールバティは怒り狂って世界を破壊しまくった。なだめる為にシヴァはパールバティの要求を聞き、子象の頭を切り取って胴体に乗せ、生き返らせた。

 ガネーシャ神は知識と学問の神として人気がある。叙事詩マハーバーラタを執筆したともされており、牙が片方しかないのは、そのときに抜いてペンにしたからだ、という説もある。ただし牙が片方しかない理由は諸説ある。

 神話なのでスケールは壮大で常識の枠には当てはまらないが、どこかしら人間味が漂うところは非常に面白いし興味深い。

【注記】
 文章記載当時はラーマ九世(プミポン・アドゥンラヤデート国王)がご存命だったので、三代前としている。

【写真】2006年5月
【文章】2006年6月 2018年6月一部修正

  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



記事検索
カテゴリー
ブログコミュニティ
いろいろな旅行ブログ
にほんブログ村 旅行ブログへ

いろいろなタイ旅行のブログ
にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ

いろいろな台湾旅行のブログ
にほんブログ村 旅行ブログ 台湾旅行へ

いろいろな中国旅行のブログ
にほんブログ村 旅行ブログ 中国旅行(チャイナ)へ
メッセージ

名前
メール
本文
Thanks for your visit (UU counts)

    2016/6/2開設