最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

花蓮

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

花蓮郊外の武聖宮と海岸沿いの自転車散策の思い出

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 台湾東部の花蓮で自転車を借りて周囲を散策してみた。この街を訪れるのは初めてではなかったので、街の規模感はある程度把握していた。雰囲気の良い街の路地や、東部有数の花蓮の港、それに豊かな景観美の海岸線など、ゆっくりと巡ってみるには自転車が丁度良いと思ったのだ。

 実際、バスやタクシーでは気軽に訪れられない場所にも行けるし、徒歩では厳しい距離も移動できる。花蓮に限らず、旅の街歩きには自転車がちょうど良いと思えることも多い。ただし、ちょうど良い場所でレンタサイクル屋が見つけられなかったり、ちょっと借りたいだけなのに高額なこともまた多い。中国では昨今急速に街中のシェアサイクルが発達しており、電子決済で利用できる。世界各地で旅行者が利用できれば、旅の街歩きは飛躍的に楽になるような気がしている。

 閑話休題。写真は花蓮の街を自転車で散策していて、街の中心から郊外に出た辺りにあった武聖宮という大きな道教寺院。海岸に近い場所なのだが、周りに大きな建物などはなく、巨大な伽藍が目を引いた。

 この先はどんどん街から外れ、特に観光名所などもなかったのだが、この少し先から海岸沿いの遊歩道のような細い道に出て、何Kmか南下してみた。正確にどれくらい進んだか覚えていないし、写真も残っていないのだが、青い空と海を見ながら自転車を走らせるとどこまでも走れる気がした。ただ永遠に続くかのようなその道をどんどん進むと、時間的に帰れなくなりそうなので、ほどほどにしておいた。

Google Mapで場所を探したら、すぐにたどり着くことができた。


【写真】2013年1月
【文章】2018年10月

文天祥と正気の歌

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 台湾の花蓮に、太魯閣渓谷という大きな渓谷がある。台湾に世界遺産が一つもないのは、すばらしい遺産がないからではなく、中国と国連の政治絡みの問題だという。それさえなければ間違いなく世界遺産に認定されているであろう超級のスケールを誇る渓谷である。

 その太魯閣渓谷の一角に、文天祥公園という公園がある。その名の通り文天祥を祀った公園である。

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 文天祥は中国の南宋時代の政治家である。以下、備忘録として端的に記しておく。

 南宋はモンゴル人の国家である元に滅ぼされることになるが、文天祥も元に捕らわれる。その人物の優秀さと素晴らしさ故に、元のフビライも殺すには惜しいと考え、投降して元に仕えないかと再三誘ったが、文天祥は宋への忠節を貫き決して首を縦に振らなかった。漢民族の精神的支柱となるのを恐れたフビライは、結局文天祥の願い通り刑死させることになる。

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 文天祥と言えば有名なのが、この正気の歌である。この公園の碑では続けて書かれているが、五言詩なので五文字ごとに区切って読むとわかりやすい。

 これは元に捕らわれた獄中で書いたもので、投降の誘いに対する返信とも言える。正気というのは、正しく美しい世界の悠久の大義のような感じ。翻訳はネット上にもたくさんあるので、ここでは紹介しないが、超簡易に意訳だけ記しておく。

 正気が世界を満たしていれば、正義は不滅で、世の中はあるべき正しい姿になる。自分の力が及ばず亡国の憂き目にあったのは嘆かわしく恥ずかしいことだが、自分も世界も結局は正気に沿うのだ。

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 さてここで改めて、先般の『亀の台座と贔屓』の記事の写真を見てみる。ここにある『天地正気』というのは、たぶんこの文天祥の正気の歌が由来であろうと思う。正気の歌では、冒頭で「天地に正気あり」と詠まれている。

 この正気の歌が後世に与えた影響は大きかった。日本でもその影響を受けており、特に幕末期には尊王の志士に好まれ、藤田東湖や吉田松陰が日本版オマージュ作品とも言える正気の歌を作っていることも有名である。

 国や民族への忠節を貫いた生き様は、時として政治的なプロパガンダとしても使われていることもあったようだ。特に中国では、金、元、清、そして日本などの漢民族以外の国家や周辺民族を相手に活躍した人物が非常に評価されている、いや神格化されていると言って良い。例えば岳飛と秦檜なんかが良い例なのだが、文天祥も同様なのかも知れないと思ったりもする。とはいえ、文天祥の場合、それは決して過剰な評価ではないと私的には思う。

【写真】2009年12月
【文章】2018年4月

花蓮港付近の廃線跡のサイクリングロード

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 台湾東部の花蓮は良港を持っており、終戦時には日本人も大勢ここから引き揚げている。

 戦前の日本統治時代から現在に渡り花蓮港には鉄道が引き込まれているが、戦前に敷設されたものがそのまま残っているわけではない。日本で言うところの特殊狭軌762mmから標準軌1067mmに変わって行く中でも、花蓮港周辺も何度か変遷している。

 ※ちなみに国際標準軌は1435mm。日本では新幹線や一部私鉄で採用している。現在の台湾の標準は日本のJR在来線や多くの私鉄と同様の1067mm。

 1980年頃までは花蓮駅は今の鉄道文化園の場所にあり、海沿いに港への鉄道が敷かれていた。この海岸の軌道は戦時中からあったようだ。1980年頃には現在の花蓮駅ができ、街の北側をぐるりと回って花蓮港まで引き込まれるようになったが、この海岸沿いの軌道もまだ旧花蓮駅まで繋がっていたようだ。1999年に海岸沿いの線路が廃止されて自転車道になり、旧駅や関連施設の跡地は後に鉄道文化園になった。

 というわけで、今ではこの海岸沿いの廃線跡は綺麗なサイクリングロードとして整備されている。昔の風景を想像しながら自転車を走らせるのも面白いものである。

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 途中にあった休憩所のような場所。駅の跡だと思われたがわからない。

【写真】2013年1月
【文章】2018年3月

大理石入りの石が転がる花蓮の海岸

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 台湾東部の花蓮にある太魯閣(タロコ)渓谷周辺は、大理石の産地として有名である。渓谷だけでなく、その周辺でも大理石の鉱脈は多く見られるようだ。

 こちらは花蓮の町はずれの海岸。砂浜ではなく、丸い石がたくさん転がっている海岸だったが、結構たくさんの石に白い結晶の脈が走っているのがおわかりだろうか。これらは大理石を含んだ石である。

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 大理石は簡単に言うと結晶化した石灰岩である。詳しい説明はここでは割愛しておく。一般的に言う大理石は、学術上の大理石の定義よりも広義であったりして、話すと専門的で長くなりすぎてしまう。

 名前は昔の大理国、今の中国雲南省の大理ペー族自治州でたくさん産出されたことに由来する。石材として重宝されてきた歴史があることは、ご存じの通りだろうと思う。マグマの熱によりできるものなので、火山列島である日本でも産出されるところは多い。それに現代では人工で大理石を作ることもできる。

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 海岸の公園にあったちょっとした石垣にも、たくさん白い大理石の脈が走っている石が使われていた。

【写真】2009年12月
【文章】2018年2月

路上市のスターフルーツ

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 こちらは台湾東部の花蓮で開かれていた路上の市で見かけたスターフルーツ。しかしスターフルーツは台湾に限らず南国では比較的よく目にする果物だと思う。

 南国フルーツは糖度が高く、それ故に味も濃厚なものが多いが、スターフルーツは味自体は薄く、水分を多く含んでおり、非常に酸味が強い。ただし、私はレモンを苦も無く丸かじりするほど、酸っぱいフルーツは好きなほうなので、スターフルーツも全く苦手ではない。

 更に特徴的なのがその外観である。その名の由来は切り口が星形に見えることであろうことは容易に想像できる。日本語では五歛子(ゴレンシ)と言うそうだ。たぶんこれも五が付いているので、形状から付けられた名前だとは思うが、歛とはなんだろう。この字は、収斂(シュウレン)という単語でしか見たことがないような気がする。これから推測すると『集まる』という意味だろうか。

 中国語でも昔は五歛子と呼んだらしい。ただし今は楊桃あるいは洋桃と呼ぶのが一般的だ。読みは両方ともヤンタオで、イントネーション(声調)も同じである。音ありきで、後で文字を当てはめたということなのだろうか。確かにイメージからは離れた字が使われている気もするが、これもよくわからない。私にとっては色々な意味で謎多き果物である。

【写真】2009年12月
【文章】2018年1月
  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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