最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

Lopburi ロッブリー

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

ロッブリーの街に溶け込む遺跡

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 タイのアユタヤーの北に位置するロッブリーは、古くからの歴史がある街であり、至る所に遺跡が点在している。

 アユタヤーやスコータイの遺跡は規模が大きく、広い遺跡公園として整備されているので、近代的な街と混在していないが、このロッブリーやピマーイなどの街では、以前にも紹介したこともあるが、整備されている公園以外でも、道端を歩いているだけで崩れかけた壁の跡を見かけたり、小さな遺跡が街の風景の中に溶け込んでいたりする。

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 遺跡の保存という考え方や法律が浸透するまでに、近代的な街の開発が進んでしまったのかも知れない。恐らく地面を掘れば、日本の歴史のある街と同様に、いろいろ出てくるのだろうと思う。

 考えてみれば、そもそもスコータイは滅んだあと長年経過して廃墟になっていたし、アユタヤーもビルマに破壊されて廃墟になった。新しい近代的な街は少し離れたところに作られた。そのおかげでアユタヤーやスコータイは世界遺産に登録されるほど価値のある遺跡がたくさん残った、と言えるのかも知れない。

【写真】2006年8月
【文章】2018年8月

 

タイの遺跡に咲く白い花 プルメリア

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 こちらはタイのロッブリーの遺跡で見かけたプルメリアの花。タイの花というと、南国の日差しを浴びた原色系のカラフルな花々を想像してしまいがちだが、こういった純白の花も結構好まれるように思う。

 プルメリアはハワイやタヒチなどの太平洋に浮かぶ島々で、よくレイ(頭や肩などにかける飾り)に好んで使われる花であるが、『こういう形で木に咲くんだなぁ』と思ったものだ。

 タイでは、プルメリアはลีลาวดี(リーラーワディー)と呼ばれている。美しい立居振舞を表現している言葉らしい。私からするとなんともイメージにあった意味合いだと思うが、実はこの呼び名は現国王陛下の妹君シリントーン殿下が付けられたもので、昔からそう呼ばれていたわけではない。

 プルメリアは古くはลั่นทม(ラントム)と呼ばれていた。『悲嘆』という意味合いのระทม(ラトム)と語感が近い。それと関係があるのかどうかはわからないが、仏塔やお墓の脇によく植えられており、墓場や死人を連想させる花だったそうだ。王女殿下から新たな呼び名を賜って話題になるまで、この花は基本的に庶民には忌んで疎んじられており、一般家庭の庭や公園などで植えられるものではなかったのだという。

 太平洋の島々における華やかなイメージとは対照的なのが興味深い。タイは熱心な仏教の国なので、もしかしたら白く大きな花びらを広げる様が、イメージで蓮華と繋がったのかも知れない、と妄想してみる。

【写真】2006年8月
【文章】2017年11月

ロッブリーの駅のすぐそばの遺跡

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 以前の記事でも触れたが、タイのアユタヤーの北に位置するロッブリーは、古くから栄えた歴史のある街である。街中にも至るところに遺跡が存在する。

 建造物の形がある程度現存していて、周囲が公園として整備されているところも多いが、街を歩いていると、道端でもちょっとした崩れかけの仏塔だけが残っているところなども見かけられた。

 タイ国鉄のロッブリー駅のすぐわきにも遺跡が残っていた。後に調べてみると、ワット・ナコーン・コサーという寺院の遺跡のようだった。観光客が訪れるわけでもなく、地元の人たちも特別に意識しているわけでもないようだった。ただ自然とそこに在る、という感じだ。

 とはいえ、遺跡は手入れしなければ、朽ち果ててしまう。ロッブリーの街中にある小さな遺跡群も、おそらく政府や自治体なんかが手入れをしているのだろうとは思う。

 ロッブリーだけに限った話ではないが、我々が歴史を学んだり、息吹を感じたりできるのも、先人たちが後世に残してくれたおかげだ。だが、いったん戦争などが起こると、失われてしまうことも、世界中で多々あった。挙げればキリがない程だ。こういったものが、ずっと大切に残せる世の中であれば、と願わずにはいられない。

【写真】2006年8月
【文章】2016年11月

タイ ロッブリーは猿が跋扈する街

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 ロッブリーはアユタヤーの少し北に位置する同名の県の県都であり、アユタヤー王朝時代には第二の都として有名であった。しかし街の歴史はそれよりさらに長く、スコータイ時代や古いモン族のドヴァーラヴァティー朝時代から栄えている由緒ある街である。当然ながら遺跡なども多く残っている。

 その遺跡の中も含めて、街の中心部を跋扈しているのは猿である。駅の猿の像も示している通り、ロッブリーは猿の街なのだ。ロッブリー有数の遺跡の中も、駅前から続く繁華街ナ・カラ通りも、周辺の家々の屋根や電線の上も、猿が我が物顔で、エサを漁ったり飛び回って遊んでいる。その猿の多さには驚かずにはいられない。

  種類は知らないが、ニホンザルよりも小型で、どこか愛嬌ある顔をしていた。 だが、人間のモノを盗んだりするのは日常茶飯事、人が襲われたりすることもしばしばあるそうだ。病気を運んだりする可能性もある。それら猿害になぜ住民は対処しないのか、と思われるかも知れない。

 ロッブリーの人々にとって、猿はその害もあるが、観光客を呼んでくれる重要な観光資源でもあるのだ。猿害と経済効果を天秤にかけて、経済効果が勝っている、と考えている住民の方が多いということなのであろう。

【写真】2006年8月
【文章】2007年6月  2016年6月一部修正

ロッブリー駅で黄金の猿に迎えられる

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 アユタヤーから鉄道で更に北へ1時間ちょっとで、ロッブリーの駅に到着する。バンコクからなら約2~3時間である。

 ロッブリー同名の県の県都であり、モン族のドヴァーラヴァティー王国時代から栄え、アユタヤー王朝時代には第二の都ともされてフランスのブルボン王朝最盛期の王ルイ14世の大使も訪れた由緒正しき街である。

 駅では大きな黄金の猿の像に迎えられる。猿はロッブリーの大切な観光資源であり、厄介者でもある。

【写真】2006年8月
【文章】2006年11月

  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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    2016/6/2開設