最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

北海道 Hokkaido

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

北方原生花園

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 北海道の気ままなドライブ旅で、ちょうど本土最東端の根室の納沙布岬を訪れ、そこから海に沿って知床や羅臼の方面に向かって走り始めたのだが、少し進んだところで『原生花園』の文字を見つけたので車を止めてみた。

 原生花園とは、手付かずの自然の状態でもたくさんの花が咲く湿地帯や草原地帯のことで、特に道東から道北にかけてのオホーツク海沿岸に多く分布している。私が子供の頃に行ったことがある小清水の原生花園が特に有名で人も多かった記憶があるが、この北方原生花園は土産物屋も観光施設もなく、観光客もほとんど立ち寄らないようだった。

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 たくさんのポニーたちが、のんびりと草を食んでいた。

 今から思うと残念なことだが、当時はあまり生物学、つまり動物や植物にはあまり興味もなかったので、緑が鮮やかで綺麗だとか、長閑で良いだとか、そういうレベルでしか捉えていなかった。

 今だったらもっと違う見方ができるのだろうな、と思う。知ることは次なる知識への好奇心を産むのだが、森羅万象を知り尽くすには人生は短すぎる。

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 とはいえ、何も考えずにこんなところをゆっくり散歩してみるのも悪くない。

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 向こうは海。手前の黒い車は当時の愛車、インプレッサ。

 いいよね、北海道。
 いいよね、道東。

【写真】2004年8月
【文章】2019年8月

北海道ならではの甜菜畑

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 北海道をドライブしていた時の話だ。場所ははっきりとは覚えていないが、おそらく網走の周辺だったと思う。見事な緑の畑に目を奪われて、ちょっと車を止めてみた。近寄ってみて甜菜畑だとわかった。あまり馴染みがなかったので、遠目にはそれとわからなかったのだ。

 甜という字は甘いという意味で、甜菜は主に砂糖の原料となる。砂糖の原料と言えばサトウキビが一番に思いつくのだが、実は日本で作られている砂糖の原料は甜菜の方が圧倒的に多い。甘い果物や植物は太陽の日差しの強い南国に多いが、甜菜は寒さに強く、主に寒冷地で育てられてきた。

 日本では北海道で栽培や製糖が始まり、今でも北海道でしか栽培していないはずだ。豊かな緑の甜菜畑は北海道ではよく見かける、そして北海道ならではの風物であろう。もちろん北海道に住む人からすると、単なる見慣れた光景かも知れないが、道外の人にとっては珍しく写ったりもする。

【写真】2004年8月
【文章】2018年10月

早朝の大通公園とテレビ塔

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 私の旅行中は朝早いことが多い。それは国内でも海外でも同じだ。なにより明るい時間帯を長く使えるし、早朝は人や車も少ないのでうまく使えると非常に有意義である。

 以前の記事でも書いたが、そもそも旅の疲れもあって、夜は早くに寝てしまう。いわゆる色町の夜遊びもしないので、夜は何軒か飲み歩くか、ホテルに帰って風呂に入った後、TVを見ながら酒を飲むくらいだ。そうすると遅くても11時には寝てしまうので、4~5時くらいには起きてしまう。

 札幌には何度か行ったことがあるが、この時はプライベートの旅行だった。やはり朝は早めに起きてしまったので、街中を散策してみることにした。昼夜は人が多い大通公園もこのとおり疎らである。都会が起きだす前の静かな公園というのも良いものだ。こちらは台北の記事であるが、普段見慣れている光景とは違う表情が見られたりする。

 近くに時計台や旧道庁もあって、一緒に見て回ったりもできた。

 早朝から移動、昼に着いたところが次の目的地、そこで宿を探した後、街の散策や観光。また次の日に早朝から次の街に移動、というのも時間が限られた放浪旅ではよくやるし、効率的なルーティンではないかとも思う。放浪家の人にしか乗りにくいリズムかも知れないが。

【写真】2004年8月
【文章】2018年9月

いろいろな路面電車が走っていて楽しかった函館市内

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 日本には路面電車が走っている都市がいくつかある。北海道の函館もその一つだ。

 面白かったのは函館の路面電車は形式の異なる様々な車輛が走っていたことだ。写真には取り損ねたが、昨今の欧州でよくみられる超低床車も走っていた。

 調べてみると2018年現在で9種類も走っているらしい。

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 以前の富山市電の記事でも触れたが、多くの日本の都市に於いて、市内を走る路面電車はモーダルシフトによって邪魔者扱いされ、廃止されたり縮小されたりしている。残っている都市でも新車両開発・投入などには消極的で、古びた車輛をメンテしながら使い続けていることが多い印象だ。

 そんな中で次々と新型車輛が投入されてきたということは、考えてみれば珍しいように思える。


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 私も函館市内の観光の足として利用した。車両やレールの軋む音やうなるモーターの回転音、Gがかかる感触や揺れ、狭い車輛。普段からこういった路面電車を利用している人には当たり前のことかも知れないが、やはり普通の鉄道車両とは乗り心地が異なって独特の雰囲気があると思う。

 それに加え、私は路面電車には特別なノスタルジィを抱いているのかも知れない。というのも、私は京都の生まれ育ちで、幼少の頃にはまだ京都市内を市電が走っていた。最後の路線が廃止されたのは私が五歳になる頃で、母に連れられて乗った時の記憶がまだ微かに残っている。私にとって路面電車に乗ることは、幼少時の感覚や記憶を呼び起こす鍵なのだ。

 そういえば、今まで制覇しようと思ったこともなくカウントしたこともないが、日本の路面電車が走る都市はすべて訪れたことがあり、その八割くらいには乗車したことがあるような気がする。軽く全線走破されているマニアの方もいらっしゃることだろうとは思うけれど。

【写真】2014年9月
【文章】2018年9月


北国では常識、矢印の標識

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 写真は北海道の根室の辺り。

 北海道だけではなく、雪の降る地域では矢印の看板が道路の上にズラリと並んでいる光景を見かけることがある。特に街を外れて、周りが田畑や草原など、平らな風景が広がっている場所に多い。雪国の人には常識だが、雪深い地域で車に乗らない人には物珍しい光景だ。私も初めて見た子供の時には何だろうと思ったものだ。

 この標識は雪が深く積もったときにわからなくなる道路の端を示すものだ。実際、私も吹雪のような雪の降る時に、田畑の中の小さな道に迷い込んでしまい、道路の端がわからずに落ちてしまいそうになったことがある。あぜ道のような細い道だったので、写真のような矢印標識もなかったのだ。

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 大きな道だと基本は轍を走れば良いのだが、車通りが少なく轍がない道もある。大きな道でも対向車や右折車をよける時などに端に寄らなければならないこともある。そういうときに、道路の端を上から示してくれるのはとてもありがたい。

 果てしなく続くかのような道路に等間隔に続く標識は、雪がない時期には壮大なる無駄遣いに見えなくもないが。

【写真】2004年8月
【文章】2018年8月


  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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    2016/6/2開設