最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

北海道 Hokkaido

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

宗谷岬の間宮林蔵

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 日本の最北端、北海道の宗谷岬には間宮林蔵の像がある。間宮林蔵は最も有名な日本の探検家の一人だと思う。小学校の頃に図書館で借りて読んだ伝記を思い出した。

 彼の一番有名な功績は、樺太が島だと発見したことであろう。当時は樺太の北のほうが大陸の一部となっている半島なのか、それとも島なのかが明らかになっていなかった。今でも樺太とユーラシア大陸との間の海峡は間宮海峡と呼ばれ、その名前を残している。

 ただし間宮海峡の名前は残念ながら日本だけのものである。海外ではタタール海峡、あるいは中国語では韃靼海峡と呼ばれている。ただしそれらの呼称は彼の功績を否定するものではない。

 樺太は現在ロシア領とされているが、広義では日本列島の一部という見方もある。実際に江戸中期より、樺太は松前藩の領地として報告されている。後に日本とロシアがオホーツク海周辺の覇権を日露戦争で争い、北緯五十度線でロシアとの国境が定められ、それより南の樺太は日本領土となっている。太平洋戦争後に日本はサンフランシスコ講和条約により南樺太を放棄しているが、今でも日本の国としての公式見解は、南樺太はロシアに譲ったわけではなく、日本が放棄させられただけの帰属未定の地としている。ただし明確な領土返還を求めている北方領土とは経緯も異なる。

 私としては、ここで南樺太や北方領土についての政治的見解を述べるつもりはない。ただ、樺太が日本領でなくなり、日本との馴染みや思い入れも薄れ、間宮林蔵の名や功績までもが歴史に埋もれてしまうのは、すこし寂しく思う。

【写真】2004年8月
【文章】2018年7月

ダイナミックな造形美の岬と女人禁制の地とされた歴史

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 このダイナミックな風景は遠い異国のようにも思えるが、日本国内である。場所は北海道の積丹半島の神威岬。半島の北西部から日本海に突き出した岬である。

 当時の解像度の低いデジカメでもこれだけ綺麗に写るのである。実際に見たときには、その雄大さに何も言えなくなった。こういうのを心が打たれるというのであろう。

 海の青さがまた素晴らしい。積丹半島は北海道で唯一海中公園に指定されているそうだが、それも頷ける。空の青との境界線が緩やかな弧を描いているのを見ると、地球が丸いことを実感する。

 上の写真ではわかりにくいが、岬の先端には小さな灯台がある。付近の海は古来より船の難所であったそうだ。そういう場所には、なんらかの言い伝えが残っていたりすることも多いが、ここも例外ではない。

 アイヌの言い伝えによると、チャレンカという娘が源義経を慕って一行を追ってきたが、既に海の向こうへ発ってしまったことを知り、この岬から身を投げ神威岩となった、とされる。現代では岬の先端に至る遊歩道が整備されているのだが、『チャレンカの道』と名付けられている。

 またアイヌのチャレンカの話と同じものなのか別なのか、神威岬の沖には女の魔神が住んでおり、女性をのせた船が通ると転覆させるという言い伝えもあった。元々難所であったこともあり、漁師や船乗りの間では信じられていたらしい。松前藩が岬一帯を女人禁制の地とした事実もある。

 ただ後世の研究によると、これらの言い伝えは、松前藩がアイヌの悲話も絡めて利用しつつ、奥地を女人禁制の地とするために流布したものと考えられている。ニシン漁等の権益独占を目的として、奥地への進出を防ぎたかったのである。幕府が蝦夷地を松前藩から取り上げて直轄地にして以降、女人禁制は解かれ、奥地への開拓と定住が進んでいる。現在では神威岬の突端へ向かう道に女人禁制の地の関門跡が残されている。

【写真】2004年8月
【文章】2018年6月


牧草ロールころころ ロールベールラップサイロ (北海道)

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 昭和生まれの人であれば、北海道の牧場と聞いた時、背の高いトンガリ屋根の大きなサイロの周りに牧草地が広がっている風景を想像する人も多いだろう。しかし近年、そういった背の高いサイロは少なくなってきている。

 サイロはサイレージを作るためのものである。サイレージとは牧草や作物などを発酵させた飼料のことだ。写真は2004年のもので、正確な場所はわからないが恐らく網走付近だと思う。この頃には全国でこのロール状のサイロが一般的に普及してきていたと思う。正式名称はロールベールラップサイロというらしい。

 私が初めてこのロールを見たのは1990年代に東北地方を一人旅した時だった。まだ銀塩カメラを使用していたし、デジタル化も未だしていないので、写真が残っているかどうかは確認できていない。当時は物珍しい光景だったので付近で作業をされている方に聞いてみたら、欧州(だったと思う)から輸入した最新の手法で、ラッピングの中で発酵させて大型のサイロの代わりにするので手間や場所が大幅に削減できるのだとか。

 農村や牧場あるいは森林など、あまり風景が変わらないように思う場所でも、やはり大きな変革でガラリと変わってしまうこともある。変わる前はあまりに普通で自然すぎて、とりたてて写真を残したりしなかったりもするのが残念ではある。

【写真】2004年8月
【文章】2017年11月

北海道庁旧本庁舎と古典主義建築への回帰に関する簡単な備忘録

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 札幌にある北海道庁旧本庁舎は国の重要文化財に指定されている。明治21年(1888年)の12月に完工したものだそうで、アメリカ風のネオ・バロック様式とされる。

 私は建築についてはあまり詳しくもないが、知っていることを備忘録として以下に記しておく。間違いがあれば、是非ご指摘頂きたい。

 バロックと言えばヴェルサイユ宮殿やサンピエトロ大聖堂などが代表的で、ゴテゴテ感があると言っていいほどの重厚な装飾が特徴の一つだったと思うが、こちらはそんなに複雑ではなく、むしろ簡素な佇まいに見える。ただし古典建築の流れを汲みながらも、半円ではない緩やかで変則的な曲線の使用やデザインの多様性が随所に見られるのが、バロックらしいところだと思う。

 そもそもバロック自体は17世紀頃に欧州で流行った様式だが、18世紀くらいには新古典主義と言われる古代ギリシャやローマの様式の流行があり、19世紀に入ると歴史を辿るように中世ゴシックやルネサンスが再評価され、さらにバロックまで歴史をなぞってきて、過去の様式をごちゃ混ぜにリヴァイバルした建築が建てられるようになった。

 そんな中、以前の記事でも若干触れたことであるが、アメリカは歴史の若い国であり、当時はやはりそれに対してある種の劣等感のようなものもあったのだと思われる。その裏返しとして古くからの様式の権威の印象を借りるような形で、古典様式を理想とする風潮は欧州以上に色濃かったようだ。ボストンの教会の記事でも紹介したが、ヨーロッパの古典様式を取り入れつつ、アメリカ風のゴシックやアメリカ風のロマネスクと言った具合に、アメリカで独自の進化を遂げている。

 写真の建築は19世紀末頃で、モダニズム建築が台頭する時期ではあったが、当時の日本に於いて、欧州あるいはアメリカで独自進化した歴史主義建築への傾倒も多分にあったようで、この前後の時期、実に多くの欧州の古典様式の建築が成されているのも興味深い。

【写真】2004年8月
【文章】2017年9月

遥かなる道東 (北海道)

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道東はよかったなぁ…。

北海道には旅行で3度行ったことがあります。
30年前、13年前、3年前…

見事にすべてに3が付いたのは偶然です。

しかし道東まで行ったのは、13年前の一度っきりです。


関西からすると北海道や東北地方って遠いんですよね。
関東に住んでいたときは、九州や四国・中国地方を遠いと感じました。

私的な「遠い」の感覚は、
フラリと日帰りや週末で放浪できない距離、です。

関西からなら、北九州や関東・信越くらいまでが
ギリギリ「遠くない」感覚の限界くらいです。
もちろん、遠くはないと言っても、近いとも思いませんが。

道路の走りやすさにもよりますが、
500km程度の圏内というところでしょうか。


飛行機をよく利用する場合、
また違った距離感に思えたりするのも面白いですね。
路線によって本数や値段が異なるので、
心理的な距離も異なります。

関西からすると、東北地方のほうが北海道よりも、感覚的には遠い。
関東からすると、中国地方のほうが福岡よりも、感覚的に遠い。

いずれにしても、遠い・近いというイメージには
個人差があるのでしょうね。


【写真】2004年8月
【文章】2017年6月

  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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