日本の最北端、北海道の宗谷岬には間宮林蔵の像がある。間宮林蔵は最も有名な日本の探検家の一人だと思う。小学校の頃に図書館で借りて読んだ伝記を思い出した。
彼の一番有名な功績は、樺太が島だと発見したことであろう。当時は樺太の北のほうが大陸の一部となっている半島なのか、それとも島なのかが明らかになっていなかった。今でも樺太とユーラシア大陸との間の海峡は間宮海峡と呼ばれ、その名前を残している。
ただし間宮海峡の名前は残念ながら日本だけのものである。海外ではタタール海峡、あるいは中国語では韃靼海峡と呼ばれている。ただしそれらの呼称は彼の功績を否定するものではない。
樺太は現在ロシア領とされているが、広義では日本列島の一部という見方もある。実際に江戸中期より、樺太は松前藩の領地として報告されている。後に日本とロシアがオホーツク海周辺の覇権を日露戦争で争い、北緯五十度線でロシアとの国境が定められ、それより南の樺太は日本領土となっている。太平洋戦争後に日本はサンフランシスコ講和条約により南樺太を放棄しているが、今でも日本の国としての公式見解は、南樺太はロシアに譲ったわけではなく、日本が放棄させられただけの帰属未定の地としている。ただし明確な領土返還を求めている北方領土とは経緯も異なる。
私としては、ここで南樺太や北方領土についての政治的見解を述べるつもりはない。ただ、樺太が日本領でなくなり、日本との馴染みや思い入れも薄れ、間宮林蔵の名や功績までもが歴史に埋もれてしまうのは、すこし寂しく思う。
【写真】2004年8月
【文章】2018年7月