最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

澳門(マカオ)

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

澳門の媽祖閣

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 昨日の記事で横浜の媽祖廟を紹介したので、その繋がりで。

 こちらは澳門にある媽祖の廟『媽祖閣』。地元の人々には『媽閣廟』とも呼ばれているらしい。

 澳門は長らくポルトガルの支配下にあり、西洋風の文化の混じり合う町並みが特徴的だが、やはり道教の廟は純粋に中華風であった。

 中国の福州・潮州や南部沿岸は特に媽祖信仰が深い地域で、その中でも澳門は海に囲まれた地である。媽祖の廟もかなり立派で由緒正しきものである。観光名所としても有名で、多くの人が訪れる。

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 伽藍の中は線香の煙が立ち込めていた。中華圏ではしばしば見かけるのだが、この長い渦巻の線香を初めてみたときには、燃え尽きるまでどれくらい長い時間がかかるのかと驚いたものだ。この線香はそこまでではないとは思うが、中国では燃え尽きるまで1か月ほどかかる線香もあると聞いたことがある。

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 澳門の媽祖閣は少し小高くなっていて景色もよく、またそれほど名所という名所が多いわけではない澳門の観光地の中では著名であるせいか、非常に人が多かった。ゆっくりお参りしたり、散策してみたいのであれば、朝早くに出向いたりするほうが、空いていて良いのかも知れない。ただし訪れたのもずいぶん古い話であることは、ご留意頂きたい。

【写真】2007年8月
【文章】2018年10月

京都酒店の記憶

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 京都酒店と言っても、私の住む日本の京都ではない。澳門で泊まったホテルの名前である。過去にバンコクの中華街で京都銀行を見つけた記事も書いたが、中華圏でも京都という単語がしばしば使われる。地名としてではなく、都市の市街を表す一般名詞としてである。

 京都酒店、英名がMETROPOLE HOTELとなっているが、必ずしも京都=metropoleなどと訳されるわけではない。中華圏で漢字の名称と英名があんまり合っていないホテルは結構たくさん見かける。なぜかはわからないが。

 私は元々あまり写真をパシャパシャと撮る方ではなく、今までの旅行で泊まったホテルの写真もほとんど残っていない。このホテルも何の気なしに撮ったペラペラのスリッパに名称だけが書かれているが、これ以外の写真はない。今から思えば、メモ代わりにたくさん撮っておけばよかったのかも知れない。こんな写真の芸術的価値は皆無だが、残っているからこそ記憶の引き出しを開ける鍵になるのだ。

 ただ、よく思い出してみると、メモリ残量をほぼ意識せずに撮りまくれるようになったのは、結構近年のような気がする。追加のメモリも安くはないし、今ほど簡単にクラウドや別媒体に避難させるのも容易ではなかったからだ。それまでは昔のフィルムほどではないが、やっぱりメモリ残量を気にして節約していたように思う。


 話は変わるが、この澳門の京都銀行、今調べてみると一泊10000~15000円くらいするらしい。私が泊まった2007年には5000円くらいだったような気がする。覚え違いかも知れないし、オフシーズンだったのかも知れない。

 ただこのホテル、少し悪い思い出しか残っていない。予約したのは特に安い部屋というわけではなく普通の部屋だったと思うが、たしか初めに案内された部屋はかなりカビ臭かったのだ。窓を開けて換気してみたが、どうにも夫婦ともども頭が痛くなりそうなくらいに酷い。ホテル側に伝えて部屋を変えてもらったが、その部屋も若干カビ臭かった。換気をすると耐え難いほどではなくなったので、その部屋に泊まることにした。

 対応としては問題なかったけれど、ホテルの従業員たちの腑に落ちないと言いたげな顔が少し印象に残っている。もちろんこれも10年以上前の昔話なので、今は全く変わっているのかも知れないことはご了承頂きたい。

 まぁ私はホテルが少々古びていようが、狭かろうが、音がうるさかろうが、たいていは許容できるのだが、金額相応のある程度の清潔感だけは保たれていて欲しいと思うのだ。

【写真】2007年8月
【文章】2017年12月

太極拳と太極剣

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 以前の記事でも紹介しているが、中華圏の国々で朝に散歩していると、公園や広場などで太極拳をしている人々を見かけるのは珍しいことではない。写真は澳門の早朝の公園。

 元々、太極拳は中国武術の一派であり、武術としての太極拳も残っているが、民間で広く行われているものはその型を取り入れた健康体操のようなものである。

 太極拳にも色々と種類がある。太極拳と言って一般的にイメージされるのは簡化太極拳とも言われる一番簡単な二十四式である。その名の通り、24の套路(とうろ)で構成される。套路とは足の運びや技のような一連の動作のことだ。

 色々な門派や型があるのだが、有名どころのセットと言えば四十八式、八十八式、総合(四十二式)といったところであろうか。これらは武術としての太極拳の伝統的な門派である楊式、陳家、呉式などの型からとられている。上記の二十四式も元は楊式の簡易版のようなものだと聞いている。複雑なものになると、旋風脚みたいな技の套路も組み込まれており、このレベルになると健康体操ではなく、武術の型そのものだ。

 太極拳には武器を使った型もある。その代表的なものが太極剣である。日本語だと同じ『たいきょくけん』という発音になるのでややこしいが、中国語では拳=キィェン、剣=チィェンに近い発音になる。これも楊式を元にした三十二式や陳家・呉式なども組み合わせた四十二式などが有名どころだ。日本ではあまり太極剣をしているところを見かけることはないが、中華圏の国々にいくとしばしば見かけることがある。

 自宅に二十四式のほかに楊式や四十二式の太極剣のDVDもあったりする。二十四式は一通りやってみたが、四十二式や剣は挑戦できていない。そもそも剣が家にないし、中国で買って持って帰るのも難しいと思っていたのだが、昨今ではamazonなどでも安価で簡単に買えるようだ。そのうち挑戦してみようかと思う。

【写真】2007年8月
【文章】2017年9月

澳門のゲームセンター in 2007年

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 こちらは澳門で見かけたゲームセンター。2007年のものだ。

 日本の一昔前の風景とほとんど変わらない。それもそのはずで設置されているゲーム機の大半が日本で見たことのあるものだった。現地語ではなく日本語そのままで置かれているのがほとんどだ。少し古いモノが多いのは、日本から中古基盤を中心に輸入してきているためだと思われる。

 1990~2000年代くらいには、日本だけでなくアジアの大きな都市でも、こういった日本風のゲームセンターを見かけたものだ。日本の少し古い機材が導入されていて、説明書きなどもすべて日本語のままで、満足に技の出し方もわからないままに格闘ゲームをしている子供たちも多かった。

 日本で1980年代~2000年代くらいまでによく見られた写真のような雰囲気のゲームセンターは、今では専用コンシューマ機やPC、スマホ、あるいはネットカフェに取って代わられ、アジア全域で少なくなってきているように思う。昨今ではやはり自宅などではできない大型の体感型ゲームやメダルゲーム、全国のゲームセンターと通信対戦できる機能がついたもの、カードバトル、などが主流であるようだ。

 日本はサブカルの分野では世界最強と言っていいくらいに発達したと思う。日本発のゲーム、漫画、アニメなどが世界を席巻していることからもお分かりの通りだ。だがこれもおそらく過去形になろうとしている。

 競争が激化しすぎて、じっくり投資するのも難しい業界では、政府や財界などがある程度助成や法整備等をしないと、やはり国家的に支援を受けている国の企業とアウェイで戦うのは厳しいのではなかろうか、と思ったりもする。知的財産権(特許や著作権、商標等)の扱いを例に取ってもそうだ。

 お偉いさんやお年寄りに、それらサブカルのファンになれ、好きになれ、楽しめ、愛せ、というつもりはないが、ビジネスのネタとして考えた時に、それら自体を軽んじる、あるいはそれらを愛する人々を小馬鹿にするのをやめて、そういう世界があることを理解するだけで大きく変わると思うのだが。

【写真】2007年8月
【文章】2017年8月

街中で見られる『犬用トイレ』の表示に遊び心を感じたりする

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 澳門の街を歩いていると、小さな公園やちょっとした路地の脇などで、こんな感じの表示を見かけることがある。デザインは一様ではないので、公式なものではないと思われるが、大抵はこのようなシンプルな犬の絵にWCと表記されている。

 実際に機能しているものなのかどうかはわからない。当然ながら犬に表示の意味がわかるはずもなく、いくら飼い主が指示したとしても、トイレの場所を飼い主の指示で固定するのはどの犬も簡単にできることではないだろう。

 もしかしたら単なるユーモアや遊び心の産物で、そんな機能性などは考えていないのかも知れない。むしろそう考えたほうが自然だ。ただ、それが実際の機能を狙っていたとしても、そうでなかったとしても、街の随所で散見される、つまりそういった遊び心が許容される雰囲気そのものに、思わず微笑んでしまった。

 普段の仕事などの日常生活に於いて、大半の行動は合理的(あるいはそう思われる)判断に基づいている気がするし、合理的で機能的なのが大切であるのは理解している。しかし、そんな日常だからこそ、なんと言えば良いのだろうか、最近で言うところの「ユルさ」とも言うべき、合理的視点から見れば「無駄」な少しばかりの遊びを許容する余裕に心が和んだりするのだろう。

 日常と違った場所・空気・文化の中に身を置いて、日常をベンチマークとしつつ非日常を体感して楽しむ。私にとっての旅というのはそういうものだと思う。もちろんこれは私見であり、旅の楽しみ方は人それぞれであって良いと思っている。

【写真】2007年8月
【文章】2017年6月
  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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