最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

Phrae プレー

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

鶏と三羽のひよこ

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 タイ北部プレーの寺院にて。

 当時の日本では、よほど田舎でも鶏や家鴨などがそこらへんを闊歩している姿を見ることは少なかったが、タイやラオスの田舎ではよく見かけたものだった。

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 親の鶏が首を振りながらスタスタと歩いていく。その後をよちよちとついていく3匹のヒヨコ。なんだか微笑ましい。

 私には少し懐かしく思えるのは、幼い頃には日本でもしばしばこのような光景は見られたからである。小学校の通学路でも、沿道の家が飼っていた鶏や家鴨などがよく歩いていたのを思い出す。

【写真】2008年2月
【文章】2019年3月

夜明けにプレー市街からタイ国鉄デンチャイ駅に向かった思い出

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 タイ北部に於ける鉄道の路線は、バンコクを起点としてアユタヤーやスコータイ、ランパーン等を経由してチェンマイに至る北本線しかない。少しばかり枝として伸びるスワンカロークへの支線があるほか、基本は一本だと考えても良い。

 北部の県でもメーホンソーンやパヤオ、ナーン、プレーには鉄道は通っていない。ただプレー県については、県都のプレーの街には通っていないが、プレー県の南端をかすめるように北本線が敷かれており、プレーの街から数十キロほど南の位置にあるデンチャイ駅が鉄道における玄関口となる。

 この時はプレーの街に宿泊し、早朝に宿を発ってデンチャイ駅に向かった。今となってはなぜ早くに発ったのかははっきりと覚えていない。たぶん列車の本数が少ないので、朝のちょうど良い時間のものを逃したくなかったせいだった気がする。とりあえず今でもはっきり覚えていないものを、放っておいたら更に忘れてしまいそうなので、記事に起こしておくことにした。

 私が田舎を放浪旅をする時は、夜にすることもなく疲れているので、酒を飲んですぐに寝てしまうことが多い。それ故に朝は早くから動き始めることもよくある。朝の早いうちに移動して、昼頃には着いた街でホテルを探して、午後は周辺にお出かけしたり散策する、という行動パターンになる。

 デジカメのタイムスタンプを見ると朝の6時頃であるが、まだ周辺は真っ暗である。ただタイの田舎では結構夜は早くお店も閉まってしまうけれど、朝も早くて5時くらいになればバスやソンテウはたいてい動き始めている。

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 このときもなんなくソンテウをつかまえて、デンチャイ駅に向かった。ほとんどサスペンションが機能していないソンテウの荷台はめちゃくちゃに揺れる。周囲がまだ暗いせいもあって、車内から撮った写真はご覧のように完全にブレていた。

 客は私しかいなかった。数十キロの道のりだが、時間が早いので道は空いている。オンボロ車で数十キロの距離だったのだが、1時間もかからずに到着した。金額も正確には覚えていないが、良心的な値段だったと思う。今はどうだかわからないが、当時プレーの街からデンチャイ駅にソンテウで向かう外国人が頻繁に居たとも思えない。街自体も海外観光客慣れしていなかったし、英語もほとんど通じなかった。ボるという発想が無かったように思う。

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 7時頃にはデンチャイ駅前に到着して、空もすっかり明るくなってきていた。

 ソンテウが数台待ち構えている。私がこれから乗る列車から降りてくる客を狙っているのだ。

【写真】2008年1月
【文章】2017年10月

タイ北部プレーの街に残る城壁の跡

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 プレーはタイ北部に位置する同名の県の県都であるが、それほど大きな街ではない。少し前の記事でも触れた通りだが、タイの街の多くは古い街の城壁や門を残しており、その内側が旧市街、外側に広がる部分を新市街と称している。プレーの街もその例に漏れず、古い城壁を境として旧市街と新市街に分かれているが、旧市街はこじんまりとしており、城壁に沿って内側をグルリと歩いても30分はかからなかったと思う。


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 残っている城壁も、そんなに高いものではないが、昔から低かったのか、現在残っているのが低いだけなのかはわからない。上側の写真を見ると、土手のようになっている部分もあり、また城壁の北側はヨム川に面していることもあって、石造りの城壁は高くしていなかったのかも知れない。

 他にもプレーの城壁内部の旧市街は、なかなか古くて趣のあるチーク材で建てられた民家の街並み、あるいは名刹などがある。古い城壁を眺めながら、ゆっくり旧市街を散歩するのも楽しいものだ。ただしタイでの徒歩散策は、非常な暑さに注意しなければならないが。

【写真】2008年2月
【文章】2017年4月
 

タイのホテルにあった初期型プッシュホン電話機601-P

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 これが設置されていたのはタイ北部のプレーの街で泊まった中級ホテル。2008年の話だ。

 私が幼少の頃の各家庭の電話機は、ダイヤルをジーコジーコと回す黒い電話機が主流だった。1970年代から1980年代にかけてプッシュホン型の電話機が増えていくわけだが、この電話機はプッシュホン型の初期に普及していた601-P電話機のようだ。

 電電公社のマークらしきものも左下にあったので、日本から持ち込まれた古い電話機らしい。昭和の香りを感じる逸品をタイの田舎町で見るとは思ってもみなかった。

【写真】2008年1月
【文章】2017年1月

心無い落書きをする輩はどこにでもいるもんだ

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 タイ北部プレーの街にあるワット・プラ・ノーンというお寺でサボテンが植えられていたのだが、そのサボテンには文字がいくつか書かれていた。Love ○○とかいう類のヤツだ。そういえば最近日本では少なくなったが、昔は観光地にいけば、こういった落書きを見ることは多かった。どこの国にも道徳が低く心無い人というのはいるものだ。

 サボテンの白い文字の部分は、どうやら傷つけられたものらしい。それらがかさぶたのようになっていた。サボテンを切ったら白い樹液のようなものが出てくるが、どうやらそれが固まったもののように見えた。ただし人間とは違って、皮が再生されてかさぶたが落ちるということはないようだ。

 軽い気持ちでやった馬鹿な行為がこんなにも恥ずかしい形で残ってしまう。私の印象では、タイ人は上座部仏教ということもあって、『徳を積む』ことに対する意識が日本人と比較すると高いとは思える。それだけに残念なことだ。 
※タイ人のほうが良い人が多く、悪人が少ないというということではない。

【写真】2008年2月
【文章】2016年10月
  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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