最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

BuengKan ブンカーン

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

まだ県都ではなかった頃のブンカーンの市場

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 タイ東北部の街ブンカーンを訪問したのは2007年のことだ。後にブンカーンはノンカーイ県から分かれた同名の県の県都となるが、当時はまだノンカーイ県に属する街だった。

 その前年までタイとラオスの間で外国人にも開かれていた国境は5つであったが、2006年にさらに2つの国境が開かれた。そのうちの一つがこのブンカーンとメコン対岸のラオスのパークサンとの国境である。

 国境の街とはいえ、まだ開放されたばかりのことで、ほとんど観光客などはいなかった。それにこの国境は渡し舟でしか渡れなかったが、メコン上流に2時間ほど車で走れば以前から開かれているノンカーイとビエンチャン近郊を結ぶ国境があり、橋で渡ることができた。それゆえであろうか、国境の街と言ってもその独特な雰囲気は薄く、どちらかというとイサーン(タイ東北部)のよくある街といった雰囲気だった。

 現在では県として独立して県都にもなっているし、国境の往来もそれなりに増えているだろうから、街も大きくなっているのかも知れない。当時は街の中心部は歩いて散策できる程度にこじんまりとしていたように思う。

 その街の中心に近いところに町一番であろう大きな市場があった。私は地方の街を旅するときには必ず市場に立ち寄る。こういう市場の雰囲気は、街全体の雰囲気を象徴しているようにも思うことが多い。

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 ブンカーンの市場は、大きな市場の中もその周辺も、非常に活気があって明るい印象だった。まったく観光客慣れしている雰囲気はなかったが、私のような一目で異質とわかる客にも排他的ではなく寛容に接してくれた。ラオスやイサーンの人たちの朴訥ではにかんだ笑顔はとっても素敵だ。

 ブンカーンは再訪してみたい街の一つである。

【写真】2007年5月
【文章】2018年12月

夕食中にやってきた客

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 タイ東北部のメコン川沿いの街ブンカーンに滞在していた時のことだ。川沿いのチャンシン通りに投宿し、近くの食堂に夕食に出かけた。

 その食堂はテラス席というか、屋根だけがあって壁がなかった。東南アジアではよくある建屋だ。都会だと冷房があるほうが良いと思うこともあるが、田舎の、しかも川沿いなら、涼しい風が吹き込み、なかなか心地よい。

 食堂の中は少し薄暗かった。テーブルに並ぶ食べ物や対面の家内の表情もわかりにくいほどだった。しかし食べ物は安くて美味しかった。

 そんな中で食事を楽しんでいると、テーブルの脇の柱に何か動くものがあった。かなり驚いたが、落ち着いてみてみると、どうやらヤモリのようだ。ちょうど外は暗くなってきたところであったし、食堂の中も暗かったので、夜行性のヤモリが動き始めたのであろう。

 慌てて写真を撮ってみたが、ピントをゆっくり合わせる時間もないまま、どこかに去ってしまった。驚いたのは向こうも同じだろう。

【写真】2007年4月
【文章】2018年8月

ラオスに運ばれるピックアップトラック

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 ラオスの首都ビエンチャンからメコン川を下って150㎞ほどのパークサンにて、対岸のタイのブンカーンへの渡船の出発を待っていた時のことである。

 対岸のブンカーン側で一斉にぞろぞろと車が並び始めた。不思議なことに、似たような車ばかりに見えた。

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 何事だろうと思ってみていたが、どうやら中古車をラオスに運ぼうとしているようだった。よく見るとほとんどトヨタのピックアップトラック、ハイラックスのようだ。東南アジアでは日本の自動車メーカーのピックアップトラックは非常に人気がある。

 今ではどうかわからないが、当時ラオスでは自動車製造は行われておらず、そもそも街中であっても車は非常に少なかった。また社会主義国家ゆえの規制などもあったのだろうと思うが、新車のようなピカピカの車を見かけたのは大使館周辺くらいのもので、首都ビエンチャンでさえ稀有であった。

 こうやって小規模に非効率とも思える方法で運ばれているのを見ると、いろいろな意味で興味深い。

【写真】2007年4月
【文章】2018年5月

タイ・ブンカーンの祠のあるロータリー

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 以前の記事でも記したが、タイの街ではなんらかのモニュメントのあるロータリーをよく見かける。これは街の規模には関わらないようだ。首都バンコクにも例えば戦勝記念塔のロータリーなど大きなものはいくつもあるし、小さな街にもよく見かけられる。

 欧州ではよく街中にロータリーを見るが、それと比較すると日本や中国をはじめ、東アジアでは少ないような気がする。しかし、東南アジアは東アジアに比べると多いようだ。欧州の文化が濃く入ってきているのも一因かも知れないし、都市計画の進め方など、いろいろな理由があるのだろうとは思う。

 ところで写真はタイ東北部のブンカーンの街にあるロータリー。祠のロータリーと勝手に呼んでいたが、地元でなんと呼ばれているかは確認しなかった。タイらしいといえばタイらしいようにも思えるが、祠がロータリーの中心にあるのはあまり他の街では見なかったような気がする。

 現在、ブンカーンは同名の県の県都ではあるが、2007年の訪問当時はまだブンカーン県はなく、ノンカーイ県に属する小さな街だった。2006年、それまではタイ=ラオス間の国境は5カ所だったが、新たに2カ所開かれた。そのうちの一つがブンカーンで、訪問したのはその翌年である。

 タイの地方の小さな街というのは、大抵その中心部は歩いて回れる程度である。そしてどうやらこのロータリーはその一番外れのようだった。

 当時、ブンカーンの街は、ほとんど旅行者が訪れるようなこともないようで、『地球の歩き方』にも載っていなかった。(現在、載っているかどうかは知らない。) 入手した街の地図も間違いだらけのデタラメだったので、自作で街歩き地図を作った。旅行ガイドなどに投稿すればよかったのかも知れないが、結局はいまだ我が家に眠ったままだ。旅行の情報としては、もはや古くて使えないだろうと思うが、私にとっては記憶の1ページである。

【写真】2007年5月
【文章】2016年11月

乗降口を開けたままで走るタイの普通バス

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 写真はタイ東北部の田舎であるブンカーンから乗ったバスで撮ったものであるが、タイやラオスでエアコンのついていない通称『普通バス』では基本的に窓は全開で、乗降口さえ開いたまま走る場合も少なくない。

 上の写真で確認できるが、このバスの乗降口のドアは紐で縛られていて、そもそも閉じることができなくなっていた。最後部の座席に乗っていると風が入ってきて気持ちが良いが、降りたあと顔は埃だらけになる。

 日本では考えられないことだが、安全やその責任について、ちょっと考えさせられることもある。特に途上国ではそうだが、そうでなくても基本的に海外では日本よりは安全に対する自己の責任が求められるように思える。どちらが良いとか悪いと言う問題ではない。日本は他者に対する思いやりの文化が、そういった他者の安全を過剰なまでに守るための法律や慣習の背景にあるのかも知れないと思ったりもする。しかし、それがいろいろな自由を阻害していることもまた否定できないと思う。

【写真】2007年5月
【文章】2016年10月
  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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    2016/6/2開設