最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

フランス プロヴァンス France La Provence

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

カンヌの売店でミレーヌ・ファルメールの曲が取り持った縁

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 南仏カンヌの街で、少し小腹が空いたか喉が渇いたのだったか忘れてしまったが、小さなお店に入った。この写真のすぐそばだったように思う。飲料やスナック菓子などが置いている小さなコンビニというか、日本で一番近しい雰囲気は駅の売店と言った様子のお店だった。

 お店で少しばかり物色していると、BGMで聞き覚えのある曲が流れてきた。20年前・・・いやもっと以前だっただろうか、ともかくかなり昔に聞いていたフランスの歌手ミレーヌ・ファルメールの曲だ。

 ミレーヌ・ファルメールは一応日本でもCDが売られていて、私も当時購入したのを今でも数枚所有しているが、フランスでは絶大な人気を誇っていたものの、日本ではあまり知られていなかったように思う。

 透明感のある声と、近代フランス芸術に多い(と私的に勝手に思っている)退廃的というか倒錯的、それでいて甘美な歌詞や雰囲気に、なぜか不思議なドキドキ感、覗いてはいけないものを覗くような感覚になったりしたものだ。当時そんな言葉はなかったが、中二病というのに近いのかも知れない。

 お店で流れていた曲はコレ↓

PV初めて見たけど、すごく長い…曲が始まるまでも3分近くあるし…
エロイヨ…(ボソ


 昔よく聴いたものだから、歌詞はある程度覚えている。小さな声で口ずさむと、暇そうにしていたお店のおばさんが少々驚いたような顔をしたあと、フランス語でなにか話しかけてきた。

 そりゃあ、一見して渡航者とわかる東洋人が、たまたまBGMで流れた20年以上前に流行ったフランス語のポップスに合わせて口ずんだら奇異な目で見られても不思議ではない。

 私のフランス語会話は、歌ほど流暢なわけではなく、むしろ片言にも満たないレベルであった。おそらくこの曲が流れていなかったら、積極的におばさんと会話することはなかっただろう。これも不思議な縁というものだ。

 旅に出ていると、以前の記事にも触れたような『音の記憶』との出会いがあったり、新たな音楽に出会えたり、また音楽をキッカケに共通の話題ができたり、ということはしばしばあった。やはり私の旅は音楽となじみがある・・・というよりも、切り離せないのかも知れない。

【写真】2015年10月
【文章】2017年5月

映画祭で有名なカンヌの目抜き通り、ラ・クロワゼット通り

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 南フランスのカンヌは、地中海に望むコート・ダジュールのリゾート地を形成する都市の一つである。

 その目抜き通りであるラ・クロワゼット通りには、世界中から集まる著名人やスターが宿泊するような高級ホテル、あるいは高級ブティックやレストランなどが立ち並ぶ。写真右側に見える豪奢な建物は、インターコンチネンタル・カールトン・カンヌという五つ星のホテル。

 そんな目抜き通りも冬の入口の平日昼間ともなると、そんなに車や人の往来も多くはなく、道路の両端には駐車の列。しかし5月の映画祭の時は混み合うのだろうなと思う。


 現代では日本に於いても、カンヌといえば映画祭や国際広告祭などが知られているし、リゾート地としても知られており、少なくとも「聞いたことはある」以上の人が多いと思う。ただし、私は世界史やフランス史も結構好きだったので、昔は色々本を読んだりしたものだが、カンヌと言う地名が歴史に登場した記憶はあまりないのが不思議に思えた。

 調べてみると、カンヌは昔からの歴史のある街、というわけではなく、19世紀までは小さな農村だったとのこと。19世紀半ばから貴族が別荘を建てはじめ、リゾート地へと発展したのだそうな。

 ヨーロッパの都市の成り立ちや構造は調べてみると結構面白い。そこには政治・政体や軍の構成、教会、など様々な日本とは異なる要素が絡み合っていて、例えば騎士団の要塞都市みたいに極端で独特な都市も多く見受けられる。カンヌにしても、別荘地が元の核となった大きなリゾートシティとなると、日本で一番近いのは軽井沢や熱海なのかも知れないが、雰囲気は程遠いし、やはり日本に似ている都市はないのかも知れない。

【写真】2015年10月
【文章】2017年4月

コートダジュールの青空に映える真っ赤な進入禁止の標識

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 以前の記事でも書いた通り、コートダジュールは紺碧海岸というだけはあって、青空を見せることも非常に多いようだ。私が滞在したのは晩秋の一週間程度であったが、ずっと暖かな陽気に包まれた晴れの日だったように思う。仕事で室内にいることも多かったので、思い違いがあるかも知れないが。

 写真はニースから東、モナコとのちょうど中間近くにあるエズの周辺で撮ったもの。エズは海岸からすぐの高い崖の上に広がる山地に街が広がっている。小さいが、中世の面影を残した情緒ある街だ。

 とはいえ、ニースの南西のアンティーブにある要塞の記事でも触れているが、昔はちょうどフランスとサヴォイア公国との境目付近で、この街もその地形的特徴から、サヴォイア側の要塞と化していたらしい。


 そんなエズの街で、青い空と対照的にも見える、赤く映えた標識は、我々も見慣れている進入禁止の標識。

 前から思っていることだが、道路標識というのはどうやって初めに決めたり、スタンダードができたりするのだろう。以前にも紹介した通り、日本では一時停止の標識は独自性のあるものであるし、海外でも独自性のある標識はしばしば見かける。もちろん世界共通的な標識もまたたくさん見かける。

 いずれにしても、信号機の色と共通させているということは容易に推測できるが、赤が禁止、黄が注意・警告、青が許可、という傾向はあるようには思う。

 変なことに興味がある、と思われるのは承知の上だが、こちらの記事でも記した通り、細かな表現の中にも文化の違いを反映していたりすることもあり、標識の違いを紐解くのも結構面白いものだと思ったりする。

【写真】2015年10月
【文章】2017年3月

コートダジュールに浮かぶ要塞

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 地中海沿岸のフランス南部コートダジュールにある港町アンティーブは、現代では少し北にあるニースと比べると小さな街に過ぎないが、その昔、古代ローマ時代から栄えた貿易都市であった。

 写真左奥に見えるのが、貿易都市の生命線であるアンティーブの港だ。港湾をぐるっと手前に回ってきて、写真中央右寄りに小高い丘とその上の城塞らしき建物が見えるが、これが港を守るために造られたキャレ要塞。今は機能していないが、城郭や中央の砦などが現存している。

 元々はローマ時代に造られ、ヴァロワ朝のアンリ2世の時代に整備されたとのこと。アンリ2世と言えば、メディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスを娶ったことでも有名である。また当時のこのあたりは、サヴォイア公国やイタリアと、緊張が走ることも多かった土地だ。スペイン、フランス、サヴォイア公国、イタリアの力関係がぶつかるところで、防衛拠点を強化するのは、普通に考えられることだと思う。

※この時代や土地の歴史はあまり詳しくないので、間違いにお気づきの方がいらっしゃいましたら、教えてください。

【写真】2015年10月
【文章】2016年12月

風光明媚なコートダジュール

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 コートダジュールと言えば、世界的に有名な保養地として知られる海岸である。南フランスの地中海沿岸のうち、主にプロヴァンス地方、すなわちイタリアに近い側の海岸を指す。

 訪問したのは10月末であったが、地中海性気候らしい安定して温暖な気候で、柔らかな日差しが降り注いでいた。名前の通り、空も海も本当に青い(コートダジュールの和訳は紺碧海岸)。世界中から人が集まるのも頷ける。

 海流の影響などもあり、ヨーロッパの緯度は、気温の割には比較的高い。そのため特に北のほうでは太陽光にあまり恵まれない。そういった国や地方の人々も、この太陽を求めて、多く観光客として訪れるのだそうだ。

 海岸にはリゾートホテルなども点在しているが、都市もいくつかある。今年2016年7月のテロの記憶も新しいニースは、コートダジュールの中でも大きな都市だ。他にも映画祭で有名なカンヌ、古代ローマからの貿易都市アンティーブ、そしてモナコなどがある。

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 アンティーブ近郊からニース方面を望む。遠くに見える白い山々はアルプスのはず。

【写真】2015年10月
【文章】2016年11月
  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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