最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

Paksan パークサン

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

ラオスに運ばれるピックアップトラック

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 ラオスの首都ビエンチャンからメコン川を下って150㎞ほどのパークサンにて、対岸のタイのブンカーンへの渡船の出発を待っていた時のことである。

 対岸のブンカーン側で一斉にぞろぞろと車が並び始めた。不思議なことに、似たような車ばかりに見えた。

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 何事だろうと思ってみていたが、どうやら中古車をラオスに運ぼうとしているようだった。よく見るとほとんどトヨタのピックアップトラック、ハイラックスのようだ。東南アジアでは日本の自動車メーカーのピックアップトラックは非常に人気がある。

 今ではどうかわからないが、当時ラオスでは自動車製造は行われておらず、そもそも街中であっても車は非常に少なかった。また社会主義国家ゆえの規制などもあったのだろうと思うが、新車のようなピカピカの車を見かけたのは大使館周辺くらいのもので、首都ビエンチャンでさえ稀有であった。

 こうやって小規模に非効率とも思える方法で運ばれているのを見ると、いろいろな意味で興味深い。

【写真】2007年4月
【文章】2018年5月

王冠チェッカーをする女の子

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 ラオスの公園やら木陰のちょっとした石造りのテーブルで、チェッカーボードが描かれていることがある。街を歩けば、そこで王冠を駒にして楽しんでいる姿を見かけたものだ。これは子供に限った話でなく、大人が興じていることも多い。

 そういえば私が幼少の頃は、日本でもビールは瓶、ジュースがちょうど瓶からスチール缶に変わる頃だった。牛乳も瓶が主体だった。1970年代以前の生まれの方は、子供の頃に王冠や牛乳キャップを集めたり、それでおはじきやはさみ将棋、あるいはメンコに良く似た遊びなど、色々工夫して遊んだ覚えがある方も多かろうと思う。

 写真はラオスのメコンの川縁の木陰だったと思う。興じていたのはチェッカーなのかどうかはわからない。タイにはマックルックと呼ばれるタイ版チェスがあり、そこから派生したタイ版のはさみ将棋も存在するらしい。コマの配置を見る限り、もしかしたらはさみ将棋、あるいは何か他の遊びをやっていたのかも知れないが、今となってはわからない。

 真剣に考えている女の子の表情がなんとも愛らしい。

【写真】2007年4月
【文章】2018年4月

タイとラオスの国境を渡る輸送用簡易フェリー

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 ラオスのパークサンとタイのブンカーンの間には、外国人旅行者にも開かれている国境がある。これは外国人旅行者に国境が開放されてまだ間もない頃に訪問した時のことだ。

 ラオス側のパークサンは小さな街である。タイ側のブンカーンは今でこそ同名の県の県都であるが、当時はまだブンカーン県はなく、ノンカーイ県に属する小さな街だった。外国人にも国境が開放されたばかりで、国境付近にはよくある市場もないし、そもそも人もまばら、といったところだ。

 閑散としたラオス側のイミグレで出国手続きを終えるが、国境の渡船も出そうな気配は全くない。人がある程度集まるまで出発しないのだ。船が出るまで2時間近く待つことになった。とはいえ、特に急ぎの旅ではない。付近を少し散策したりすると、意外とそれくらいの時間は過ごせてしまう。時の流れがゆっくりに感じるラオスだが、ここは特に緩やかに思えた。

 国境の渡船を待っていると、タイ側からトラックを積んだフェリーがやってくるのが見えた。タイとラオスの両国の国旗が掲揚されているので、国境を結ぶものだろう。どうやら我々のような旅客は乗せてくれそうな雰囲気ではなかったが。

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 しばらくすると接岸した。立派な船着き場があるわけでもない。板を渡すだけだ。板が渡されると同時に、トラックが続々と走り出す。

 ラオスとタイの間の国境線の大部分は大河メコンである。しかし当時、橋がかかっていたのは、ノンカーイとビエンチャン郊外を結ぶ友好橋だけだ。この写真のブンカーン=パークサンの国境は、友好橋からは比較的近いが、それでも150kmほど離れている。橋まで回り込むよりは、時間と手間が多少かかってもフェリーで渡るほうがよっぽど効率的なのだ。

 これよりもう少し南のラオスのメコン流域で聞いたことがあるが、タイでタンクローリーにガソリンを満載してきて、ラオスで売りさばくだけで、それなりの財産ができたのだと言う。そんな話も、こういった物流インフラの状況を見ると頷ける気がした。

 じゃあみんなやればいいじゃないか、と言う話になるのだが、これは我々がある程度自由経済が発達した社会で育っていたからこその考え方である。ラオスはそもそも貧しい農村ばかりの国で、社会主義によって経済活動や流入資本には制限がある。民間レベルではタンクローリーやトラックも簡単に入手できないのだとか。ただし2000年代初頭に聞いた話なので、今となっては経済や物流の状況もずいぶん異なっていることだろうとは思う。

【写真】2007年4月
【文章】2017年12月
  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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    2016/6/2開設