最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

GoogleMapやストリートビューで過去の記憶を辿る

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

1997年のスリラット高速道路と初バンコクの思い出話

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 時は1997年。タイ王国の首都バンコクは急拡大する大都市で、モータリゼーションの波が押し寄せていたが、交通インフラの整備は追いついていなかったように思う。

 公共交通機関で言えば、地下鉄はおろか高架鉄道BTSもなく、唯一の鉄道である国鉄はコミュータートレインではなく長距離専門、1~2時間遅れは当たり前。路線バスは万年渋滞に悩まされ、バイクタクシーやトゥクトゥクが車の間を縫って闊歩していた。中心部でもいくつかの路線が残っていた運河の乗合舟は、ラッシュアワー時には最速の公共交通だったと思う。乗りこなせればの話だが。

 首都高速はと言えば、当時は第一高速に続き、第二高速であるスリラット(シーラット)高速道路が2年半前に開通していた。写真は1997年2月、スリラット高速道路がシーロム通りと立体交差する辺りで、投宿したホテルから撮ったものだ。


 当時、バンコクの空の玄関口はドンムアン空港だった。右も左もわからぬまま、とりあえずドンムアン駅から国鉄に乗ってファランポーン中央駅にやってきた。確か5バーツ(=約20円)だったと思う。最初のバンコクの宿だけは予約していたので、歩いて向かう。

 土地勘がなかったので、地図では距離感がわからない。駅からは近いかと思っていたのだが、荷物を抱えて歩くと、思ったより遠かったのを覚えている。また当時、信号がない交差点も多く、途切れることなく交差点に突っ込んでくる車の流れをどうやって渡れば良いのか、途方に暮れたものだ。これは現地の人に見習って、阿吽の呼吸で渡れるようになった。ちなみにこの呼吸は、後に中国に行くようになってからも役に立った。

 予約していたのはシーロム・プラザ・ホテルという名前の古ぼけた中級ホテルだった。20年以上前の記憶なので、もしかしたら間違っているかも知れない。しかし場所はだいたい覚えていたし、昔は全くタイ文字は読めなかったが、今なら写真中央右寄りの病院マークの下に『ルートシン』と書いてあるのがわかるので、地図でもすぐに探すことはできた。

<GoogleMapで高速道路から見てみる>


 ルートシン病院の建物も新しいものが増えているし、看板も違っているが、やはりこの場所のようだ。左奥の建物は手前に別の建物があるが、GoogleMapで近寄ってみると、写真と同じ建物が今でもあるようだ。

 地図で確認してみると、この時私が泊ったシーロムプラザホテルは、今ではノボテル・バンコク・フェニックス・シーロムという名前になっているらしい。値段を見てもそれなりなので、たぶんノボテルが買収し、改装して営業しているのだろうと思う。

 しかし、このホテルに泊まれば、二十年以上の時を隔てて、同じ景色が見られるのかも知れない。機会があれば泊まってみようかと思えてきた。運よく同じ景色が見える部屋になるかはわからないけれど。

【写真】1997年2月
【文章】2020年8月

1997年ロンドン ナイツブリッジ周辺

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 1997年の夏、私はロンドンに居た。初の渡欧だった。

 当時の私は大学を卒業して就職後数か月の社会人一年生だったが、英語力はそりゃあひどいものだった。TOEICで言えば300点程度、会話は今の高校生の方がよっぽどできると思う。そんな私がなぜか旅先にイギリスを選んだのは、ミュージカルのCATSをオリジナルで見たかったのと、美味しい紅茶を求めてのことだったが、この話は別の記事でも書いているので、ここでは割愛しておこう。

 とはいえ、ロンドンの人々は私のつたない英語でも、和やかにわかるまで聞いてくれたように思う。後にアメリカに何度か訪れることになるが、同じ英語の国ということでアメリカと比較してもロンドンの人は比較的ノンネイティブに対して辛抱強く寛容だった印象がある。もちろん昔の話であるし、私個人が接した範囲でしかないことは承知している。


 ただそういったイメージや感触は覚えているものの、行った場所やその多くの光景は残念ながら時と共に記憶から消え去りつつある。デジカメもなかった当時ではカメラや写真は高価なもので、旅の備忘録的に手当たり次第スナップ写真や食べ物等を撮るという感覚はなかった。故に、昔の旅の写真を見返してみてもありきたりの観光名所の写真、あるいは変わったポーズをして撮ったポートレートとも呼べない代物ばかりが残っているのだ。これはたぶん私だけの話ではなく、古くから旅をしている人の『あるある』として、よく出てくる話だ。

 そんな中でも、たまに街角のスナップが紛れていることがある。銀塩カメラの時代の写真は、GPS情報はおろか、前後の繋がりやタイムスタンプもないので、どこで撮ったのか、何が琴線に触れて写真を残したのか、覚えていないことも多々ある。

 上の写真も紛れていた街角のスナップである。ただしなんとなく場所には覚えがあった。たしかロンドン塔に行ったあと、路上でバスに飛び乗って、降りた辺りだったような記憶がかすかに残っている。ただこの写真は8月12日の最後の写真で、この次にどこに行ったのかは覚えていない。もしかしたら投宿していたのがこの近くだったかも知れない。

 なんとなく覚えている周辺をgoogle mapやストリートビューで探ってみると、案外簡単にたどり着けてしまった。店などはすべて変わってしまっているが、道路左側に並ぶ建物の形が完全に一致するので間違いないはずだ。チューブのナイツブリッジ駅付近だった。



 ストリートビューでは撮影時期を変えてみることも可能だ。左側の建物に国旗がかかっているのが何十年も変わっていないのも、なんだかイギリスらしく思えたりする。

【写真】1997年8月
【文章】2019年8月

1997年に訪れたロンドンのクイーンメアリーズローズガーデンズの記憶を辿ってみる

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 ロンドンで一番美しい公園といわれるリージェントパーク。その一角にインナーサークルという輪状の道路に囲まれたエリアがある。クイーンメアリーズ・ローズガーデンと呼ばれるバラ園だ。

 メアリーと言えばブラッディーメアリーと呼ばれるイングランド王メアリー1世が有名ではあるが、そのメアリーに因んでいるわけではない。メアリーオブテック、エリザベス二世陛下の祖母に当たるメアリー王妃である。歴史を勉強していても、どのメアリーやらエドワードやらチャールズやらわからなくなる。

 さて写真はデジカメではなくネガスキャンしたものである。右下の日付表示が懐かしい。バラ園を散策した記憶は既に朧げではあったが、ネガの前後にリージェントパークの写真があったのですぐに辿ることができた。



 世の中はますます便利になり、いまや街角だけでなく公園の中でさえも疑似散策することができる。Googleストリートビューでバラ園を歩いてみると、写真に見える門がすぐに見つかった。

 20年の隔たりがあるはずなのに、ほとんど光景が変わっていない。木々や花壇は植え替えされたりしているようだが、道も同じ、ゴミ箱やベンチの場所やデザインさえ同じである。この変わっていないということは驚くべきことであると思う。二十年の歳月で、備品類のデザインや位置まで同じというのは、メンテナンスが素晴らしいレベルで行き届いているということだろう。

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 もう一枚、若き日の私が写っているものがあった。この公園は御覧のような花が至るところに咲いていて、とても美しかった記憶がある。その中の一つを記念に残しておきたかったのだ。

 公園のどこで撮ったかは覚えていないが、ローズガーデンの近くだった記憶はある。花壇の後ろに茶色の三角屋根などの建物が見えるので、もしかしたら公園内にあるリージェンツ大学ではないかと思った。その周囲に見える道を見ると、なんとなく光景に見覚えがあったりして、すぐに場所がわかった。忘れたと思っていたのだが、人間の記憶というのは不思議なもので、何かしらの情報があると、紐を伝うようにスルスルと記憶が引き出されてくることがある。



 残念なことに、美しい花壇は無くなっているようだが、なんとなく見覚えがあった。後ろの屋根が見える角度が一致しているので、この場所で間違いないはずである。

 とりあえず覚えているうちに、こうやって記録しておこう。

【写真】1997年8月
【文章】2019年6月

屋上の金の狛犬

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 フアヒンの駅を出て海岸の方に歩くと、少し遠くの建物の屋上に名古屋城の金鯱のようなものが見えた。なんだろうと思って目を凝らしてみる。

 金色の狛犬、だろうか。私にはそう見えたがよくわからない。タイでは獅子の置物をよく見かけるが、これは獅子というよりはやはり犬に見える。

 少し歩くのも苦しいくらいの炎天下で、行きたい方向とも違って若干遠くに見えたので、確認には行っていない。



 後にGoogleマップやストリートビューを駆使して調べてみたところ、この建物の上にあるようだった。どうやらホテルのようだ。それほど高級ではない、むしろ古びた安ホテルだろう。

 1階には韓国料理店があるようだ。屋根の上の謎の狛犬のようなものは、私が知らないだけで、なにか韓国風のものなのだろうか。いや、違う気がする。

 結局、謎のままである。とはいえ、ここまで調べられるだけでも、すごい世の中になったもんだと思う。

【写真】2018年12月
【文章】2019年5月


場所は覚えていなかった台北の街角


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 このときは確か台北の南側の山々、猫空の方へ行った帰りだった。当時ロープウェイは運休していたので、行きはバスで登り、帰りはトレッキングがてらに歩いて山を降りた。そして山を降りたところで、とりあえず街の中心部の方に戻ろうと思い、行く方角だけ見て路線バスに乗り込んだ。どこをどう走るのかはわからなかったが、どこか適当なMRTの駅を通るだろうと思ったのだ。案の定それらしい場所に走ってきたので降り、ついでに遅めの昼食を探すことにした。その時の街の写真だったはずだ。

 ファミリーマートがあったり、『京都』と書かれた看板があったりするが、別に日本人街というわけではない。近くに学校があるのか、人気スポットなどがあるのか、とにかく若者が多かったと思う。確か1月1日のお正月だったはずだが、旧正月をメインに祝う台湾ではそれほど大きなイベントシーズンというわけではない。

 余談であるが、海外の日本料理屋などでは、地名をそのまま店名にしているのをよく見る。しかし日本国内では旧国名などが付けられているのを偶に見かける程度で、県名や都市名などの地名をそのまま店名にしているのは、あまり見ない。考えてみれば、日本にあるタイ料理や中華料理などで、それぞれの国にある地名そのままの店名はしばしば見かけるが、それらも本国に行けばあまり見かけないものである。地名から連想されるイメージの細かさの相違だと思うが、面白い。

 閑話休題。写真の場所は今となってはどこか覚えていない。新店の近くだったかと思ったが、もう少し北だったようだ。覚えてはいなくても、店の名前などが写っていれば、大抵現代のネットの力で調べることができてしまうのだ。

 少し角度が違うが、恐らくここで間違いないだろう。

【写真】2010年1月
【文章】2019年3月
  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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